嘉麻市の「織田廣喜美術館」で連続体験デザイン講座が行われ、その一番最後の講師としてデザインについて話してきました(以前、デザインした美術館のロゴも地域の人たちに愛されていて、嬉しくなりました)。授業の前半はテクニカルなことではなく、デザイナーとしてのふるまいについてが主でした(質疑応答ではテクニカルな話も)。後半はグループに別れて嘉麻市でまだ名前がない「山」のネーミングとそれに関連していくつかのコミュニケーションポイントのアイディアを出す行為を行いました。デザイン体験講座は前回の講師が(僕もお世話になっている)書体デザイナーの藤田重信さん、与えられた時間は3時間、年齢層も20代から70代と幅広くと、プレッシャーも多少ありましたが、受講生の方々のアンケートの嬉しい言葉に肩の荷がおりました。前半部分の事を、デザイナーを目指す方にも何かしらのメッセージになればと思い、記録をここにも残しておきたいと思います。

デザインに対する考え方について

時間的なこともあり、短いフィールドワークを。遠くに見える山に名前を付けます。

グループに別れて、対話から共感を育み、課題を見つけ、アイデアを出していきます。

ロゴやツールなどのコミュニケーションポイントのプロトタイプをつくります。

発表と実現に向けての検証を。わくわくするものも生まれました。整理して行政に渡します。みなさん、おつかれさまでした。




身体で聞き、一緒に考える。自分と同一化すること。

デザインとは、自己の創造性で、他者と他者との感情のつながり(交流/紐帯)をつくる手段です。他者と他者との感情のつながりを作る訳ですから、まずは他者(相手)の心に寄添わなければなりません。ヒアリングは通常、相手の問いや想いを導いていくことになるかと思いますが、それでは相手が自覚していることしか聞く事が出来ず、心まで辿り着くことはできません。相手が自覚していなかったり、心の奥にしまっている想い。それこそが、デザインの骨子のために必要なものだと思っています。

できる限り自分ごとにすること、相手と同じ状況になる必要があります。それは、深海に潜っていくような行為です。呼吸を整え、身体に負荷をかけ、相手が待つ海底まで潜ることだけを考える。そこは外の雑音などがない静かな世界。言葉のコミュニケーションだけじゃなく、しぐさ、頷き、視線などノンバーバル・コミュニケーション(非言語コミュニケーション)は、互いの距離も縮めてくれます。箍が外れた状態で共感と信頼と生まれるでしょう。

打ち合わせや会議などの決められた時間だけではなく、テーブルを離れた状態でしばらく、行動をともに同じ時間を過ごすことも大切です。何かの準備であったり、イベントであったり、その振り返りであったり。ただ、一緒に歩くだけだったり。その名前のない時間の何気ない会話や所作に多くのアイディアが生まれてきます。

自分に都合のいい情報だけを集めて、自己の先入観(イメージ)を補強し、自分が思い描いていた方へ話を持っていくことにも注意します。例え、自分の確固たるデザインイメージがあったとしても、それを一旦捨てて、相手に身を委ね、再咀嚼して新しいデザインを考えるしなやかさを持つこと。それは結果的に自分の表現の幅を広げることにもなります。




デザイナーのアウトリーチの必要

福祉関係の支援者が支援を必要とする人の元へ自ら出向くことを、アウトリーチと言います。随分とデザインが必要な場所にデザインが施されるようになってきましたが、まだまだデザインは必要です。今後、デザイナーとして求められるのはそんなアウトリーチができる人たちだと感じています。何か仕事が発生すると言う事は課題が明らかになったと言うこと。そうではなく、問いを一緒に考え、学ぶことから始めることができたら、より深度のあるデザインになるでしょう。「すでに、そこにいる」。それもこれからのデザイナーに必要な資質だと感じています。

仕事につながるからとか、人脈づくりにつながるからとか、そういう事はあまり気にしないで(見返りばかり考えると返ってこなかったときが、しんどいですよね…)。禅に「因果一如」と言う言葉があり、結果はすでに原因と一緒に生まれているという意味ですが、結果につながることを期待せずに、今に最善を尽くす。身近な人たちの力になりたいとか、たくさんの人に知ってほしいとか、そういった自分の今の衝動に誠実になることに意味や意義があるのだと思います。

自分が気になる人たちとの関わりを深めていく中で、おのずと知識と経験も得て、感性と想像力も育まれ、それは別の場所(領域)でもクリエイティビティを発揮できるようになります。以前、西村佳哲さんが、僕の事を「裾野派」と仰られました。いわゆる業界の頂点を目指さずに、さまざまな社会的課題がある現場(裾野)を駆け回る人。自分でもよくわからない働き方に名前をつけて下さったようでそれが嬉しかったのですが、そんな裾野で誰かがデザインした、他者に対してやさしさに溢れたものに出会えたら、喜びを感じずにはいられません。それは社会が少しだけでも、より良い方へ向かっている証だから。そのようなデザインに出会える事を期待しながら、僕もそのようなデザインができるよう学び続けたいと思っています。