活字鋳造所『山崎商事』

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長崎駅の近く、恵比寿町に活字鋳造所、山崎商事(旧山崎活字製造販売所)さんがあります。山崎商事さんは創業100年を超えます。本木昌造の技術を引いた藤木喜平氏(藤木博英社創設者)と山崎熊雄氏が榎津町(現万屋町)で活版印刷業を創業したのが始まりです。後に藤木氏が印刷専門、山崎氏が活字鋳造専門に分かれました。山崎さんの活字は戦前戦後の九州内の新聞や出版物に留まらず、朝鮮日報や台湾新報など、海を渡り様々な印刷物を支え続けました。終戦後、原爆の被害が少なかったこともあり、山崎さんは現在の恵美須町に活字鋳造所を移しました。一階が受付と印刷資材の倉庫、二回が活字鋳造室、三階が膨大な数の活字を収める活字室。今では活字の注文はほとんどなくなり、主に印刷資材の販売を行っておられます。活字の注文があった場合は、その“活字の宇宙”と言える膨大な活字の中から、文選を行い活字を渡して下さいます。ない場合は鋳造。三階の活字棚の脇にある母型棚からその文字の母型(活字の型となるもの)を探し、二階の鋳造室で母型を用い、鋳造機で鉛・アンチモン・錫などの合金を流し込んで活字を作ってくださいます。ちなみにAOITSUKI PRESSでは、活字や印刷資材など活版に関わるものはすべて山崎さんにお世話になっています。

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文選、鋳造と全てが分業制で多い時は30人程がこの活字鋳造所で汗を流していたそうです。まだ活版印刷が主流だった頃、右も左も分からない若者がやってきては仕事を通して文選を覚え、「そろそろ一人前かな」と思ったらすぐに他の印刷所に引き抜かれていたそうです。「うちは、文選学校じゃなかとよ」と山崎さんは憤りを感じながらも次から次に職人に育て上げたと言います。繁忙期のこんなエピソードもあります。方々から活字の発注があり、 対応に追われ三階の活字室から一階 の受付まで階段で降りて運ぶ時間も惜しく、山崎さんは大胆にも床に穴を開けて、滑車で活字を運べるようにしました。「そん頃は、こん滑車が停まることはなかったと」と、今もその穴は塞がれることなく残っており、 当時の面影を感じることができます。

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活版印刷にとって活字は最も欠かせないものです。ですが、昨今の活版ブームは活字屋さんに何ももたらしていません。文字のかすれなどが活版印刷らしいと耳にしますが、それはかえって活字文化の衰退に加担している気がします。表現手段としてではなく、本来の活版印刷の工芸的な美しさを求めるのならば、ぜひ鋳造活字を活用して頂けたらと思います。幸いにも活字文化が生まれたこの長崎に、おそらく九州で最後の活字鋳造所が今も残っています。先日、長崎市役所の某課長から「長崎は活版の発祥の町だから、職員みんなが活版の名刺でもよいかも」など大胆なアドバイスも頂きました。この活字がある風景を残す為に、さまざまなアイデアを一緒に考えていければと思います。

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INFO

山崎商事
住 所:〒850-0056 長崎県長崎市恵美須町2−22
電 話:095-825-0260


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