日本二十六聖人記念館|26martyrs museum

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長崎駅からすぐ近くNHK脇の坂道を登った西坂の丘に日本二十六聖人殉教記念碑があります。1587年(天正15)バテレン追放令によって、すでに一度、豊臣秀吉は九州においてキリスト教の禁止を命じていましたが1596年10月のサン・フェリペ号事件をきっかけに同年12月8日に再び禁教令を公布、 キリシタン弾圧がより厳しくなります。大阪と京都で外国人宣教師・修道士6名、日本人修道士と信者18名の合計24名が秀吉のキリシタン禁止令によって捕縛されました。24名は、長崎で処刑せよという命令を受けて大阪を発ち、京都・大阪で引き回しとなり、真冬に歩いて長崎へ向いました。途中でイエズス会の世話役ペトロ助四郎と、フランシスコ会の世話役伊勢の大工フランシスコ、2名も捕縛され殉教の列に加わり、26名となりました。1597年2月5日(慶長元年12月19日)、霧の中、浦上街道を約12kmを歩き、午前10時頃西坂の丘に到着。すぐに十字架に掛けられ26名は長崎の西坂の丘で殉教しました。一行の中に12歳の少年ルドビコ茨木がいました。処刑の執行責任者である長崎奉行の寺沢半三郎は、ルドビコ茨木を助けようと信仰を捨てるよう説得しましたがルドビコ茨木はこの申し出を断り、殉教しました。昭和25年(1950)には、ローマ教皇・ピオ十二世がこの地をカトリック教徒の公式巡礼地と定めました。昭和37年(1962)に列聖百周年を記念して、彫刻家、舟越保武(船越桂の父)の二十六聖人の記念碑と同時に今井兼次の設計による鉄筋コンクリート三階建の二十六聖人記念館が建てられました(現在は改装されています)。

記念碑の奥に記念館があります。記念館にはキリスト教に関する資料が多数展示されています。世界遺産登録を目指す長崎にとって、その教会群や長崎のキリスト教の歴史を伝える意味でも最重要施設となると思います。昭和45年(1970)県文化財として指定されたブロンズのピエタ、大分県丹生で発掘されたキリシタン遺物、かくれキリシタンの弥勒菩薩、主な記録の中では聖フランシスコ・ザビエルの自筆の書簡、中浦ジュリアンの書簡、殉教者マストリジ神父の書簡などがあります。現代の美術品である舟越保武作「高山右近」、上田康照作「ガラシャ細川」なども展示されています。日本に活版印刷機を持ち帰った天正遣欧少年使節が、ヴァチカンで当時の教皇グレゴリオ13世に謁見した際の記録「日本使節グレゴリオ13世謁見の枢機卿会議記録」や、プレスの美しいグレゴリオ聖歌の教本、1500年以前に活版印刷で刷られたインキュナブラも複数冊、閲覧することができます。



INFO

日本二十六聖人記念館
住 所:〒850-0051 長崎県長崎市西坂町7−8
電 話:095-822-6000
時 間:9:00-17:00
休館日:年末年始のみ
観覧料:500円
HP:http://210.136.236.116/MartyrsHP/Japanese.html


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