戦争とおはぎとグリンピース

激戦のビルマ戦線から辛うじて生還した祖父を待ち受けていたのは原爆で変わり果てた長崎のまちでした。祖父はよく「平和がいちばん、平和がいちばん」と口にしていました。散歩の途中、平和祈念像の前で手を合わせる時間は、子どもながら退屈に感じるほど長いもので、僕はまぶたを開け祖父の顔を見上げては、またまぶたを閉じる、その行為を何度も繰り返していました。ビルマで亡くした戦友、原爆で亡くした旧友、もう二度と戦争を…。十代の頃、そんな祖父の足跡を辿り軍事政権化だったビルマへ旅をしました。多くの気づきと出会いがあり、それから歳も重ねました。今ならその祖父の祈りの長さの意味が少しわかる気がします。原爆で被爆された医学博士であり、随筆家である永井隆さんは、「本当の平和をもたらすのは、ややこしい会議や思想ではなく、ごく単純な愛の力による」と。デザインをするとき、いつも大切にしておきたい言葉です。

前置きが長くなりました。昭和29年に始まり、今も続いている西日本新聞の婦人の新聞投稿欄「紅皿」。その中から戦中戦後の事を綴られたものを集めた「戦争とおはぎとグリンピース」が西日本新聞社から刊行されました。装画・挿絵は画家の田中千智さん。そして、その装幀を行いました。筆者は多くが10代から30代で、「いま・ここ」を生きる私たちと同世代の無名の市井の女性達。彼女たちが紡いだ等身大の気概ある言葉は幾層にも重なり合い、戦争の悲惨さと同時に、家族や日々の暮らしの愛おしさなどを伝えてくれます。そんな彼女たちに思いを馳せながら、また今を生きる私たちのことも思いながら、装幀を行いました。以下帯に書かれている言葉を。


どんなときも絶望しない。ご飯をつくる時、買い物をする時、おしゃべりをする時…。60年前、日本の家庭には、常に「戦争」があった。それが普通という異常。戦後間もない昭和30年代の新聞の女性投稿欄から、今読んでおきたい42編を収録。戦中戦後、彼女たちは何を見ていたのか。明日を今日より良い日にしたい。覚悟に満ちた言葉の数々。

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写真は「WHITESPACE ONE」で開かれた発刊記念のトーク終了後の様子。左から児童文学作家の村中さん、装画・挿絵を描かれた画家の田中さん、編集を行われた西日本新聞社の鴻池さん、僕。