img_5838

今年は特に多忙を極めており、いつ深呼吸をしたのか忘れるほどに、時の移ろいの早さを感じています。綴っておきたいと思った事も湖に沈殿していく枯葉のように、ひとひら、またひとひらと重なって、心の奥に溜まっていきます。

カレンダーをギュッと戻して。今年2月の終わりに、鹿児島へ行ってきました。小学校の修学旅行以来でした。今、筑後でもご一緒している「ママとこどものアートじかん」の原田さんにお声がけ頂き、「鹿児島文化情報センター」でトークをさせていただきました。後半は来場者の方々とのディスカッションとなり熱を帯びた時間となりました。不躾ではありますが、改めてお礼申し上げます。印象に残っているのが、まだ知られぬ鹿児島の地域資源を活用したデザインのこと。個人的にはデザインは見えないもの、気づかないものだと思っています。地域資源の活用として明確にデザインされたものよりも、洗練はされていないかもしれませんが、はじまりの頃からの志、意思や意匠の気配を感じるデザインに心を動かれされます。「地方」という言葉を聞くたびに、まど・みちおさんの詩「ぼくがここに」を思い出します。どこかのイミテーションではなく、答えはすでにあると常々感じています。

鹿児島滞在時には不思議なビル「レトロフト」の永井さんご夫妻に本当によくして頂きました。時間を忘れるほどに語らいました。その永井さんの最近のブログで嬉しい言葉の出会いがありました。僕も常々感じ、実践していることで、とてもシンパシーを感じ嬉しくなり、このブログにも残しておきたいと思いました。そして、またすぐにでもレトロフトに足を運びたいな、と。

アートは客寄せ?話題づくり?若いアーティストの発掘?名山町の地域活性のため?〜中略(解体中の九大の写真)〜こんな風景が目の前に現れてようやく、人はその酷(むご)さと失われるものへの哀惜を実感するかもしれません。でも、アートで日々感性を磨いている人々なら。こんな画像を見ずとも、予兆ありさえるればその後起こりうるすべての情景が心に浮かびます。誰より早く悲しみを感じ、さらに未来永劫失われるものの価値もすべてが一直線にパースペクトビューできるようになります。レトロフトから発信されるのアート、不思議な音楽ライブ、そしてオーガニックなフードの数々すべては、人の心の感度を『本来の状態に引き戻すための仕掛け』です。さらには、『未来を引き継ぐ人々』の感性に期待を込めての仕掛けにほかなりません。