新町活版所跡

1869年、本木昌造は普通教育の必要を感じ興善町に新街義塾を開設します。ここでは読書、書道、算術、英語などを教育し、授業料等は全て無料でした。その後、1870年に「新町活版所」を創設し、本格的に活字製造と印刷の業務を始めます。ここから和文の金属活字による活版印刷がはじまります。現在はその地に記念碑と復元した本木活字を使ったモニュメントが展示されています。