
近しい人には話していましたが去る5月のはじめに事故にあい、救急車で運ばれ手術をしました。利き手である左手が、今後、思う様に動かせなくなりました。新しく人に会ったり、人の中に入っていく勇気と体力が低下しており、しばらく療養しようと思っています。ご迷惑をおかけしますが、何卒よろしくおねがいいたします。
そのようなこともあり、身体的負担が大きいので、参画していた福岡市が進める「ミニふくおか」も降りました。ミニふくおかとは、子どもの参画を目的としたドイツのミニミュンヘンをモデルにしたもので、今年の夏に開催されます。子どもたちが「まち」のしくみを知り、「まち」のルールをつくり、さまざまな「仕事」に着き、まちで働き、人とかかわりあいながら、暮らすことを体験します。もう5年程前でしょうか、子ども参画のまちづくりをすすめる木下勇さんと、敬愛する元愛知児童総合センター長の田嶋さんの話を、はるばる東京まで聞きに行きました。いつか福岡でも。と、思っており、福岡で暮らす子どもたちに分け隔てなく“招待状”を送れるせっかくのチャンスを棒に振り残念でなりません。また、子どもたちで編成されたまちのルールを決める「子ども実行委員会」もすでに動き始め、子ども達とも関係を育んでいけていただけに、こちらも無念です。でも、これまでずっと、福岡の子どもたちに寄添い、子どもたちの環境を支えて来た「子ども文化コミュニティ」さんと、「PLAY FUKUOKA」さんが運営を行ないます。必ず子どもたちが希望を持てる素敵なものになると確信しています。
これまで、子どものデザインに関しては、自覚を持って取り組んできました。それにはやはり、かかわりを持った、目の前の社会的養護を必要とする子どもたちの存在があります。そこを見過ごしては、子どものデザインはできない。と、自分の非力さを感じながらも、行なってきました。児童養護施設に通い、施設長さんと話しをすると、随分と社会から見落とされていることを感じます。福岡にも虐待や親の病気、死別などで親と一緒に暮らせない子どもたちはたくさんいます。施設は今、家庭的な環境化での養護へと変換期を迎えていますが(福岡市の里親普及率は本当に素晴らしいです)、子ども達は未来であると同時に、“今”でもあります。施設で暮らす子どもたちは、18歳になると出て行かなければならず、現在、仕事を選ぶ選択肢もかなり限られています。うまく社会に適合できずに、戻ってくる子、社会の暗部に消えていく子どももいます。でも、それは言わずもがな子どもが悪い訳ではありません。地域で日常的に子どもたちが、おとなとかかわりあいながら生き、必要とされていることを実感できること。そして、さまざまな仕事を知り、学ぶ(選択できる)環境があれば、状況は変わっていくはずです。希望を持って欲しい。そして何より不安を持たせないというのが、同時代を生きる僕らに、まちに、市に出来ることなんじゃないかな、と思っています(意識が変わって行く、その起因にミニふくおかがなれればと)。先にアルティアムで行なわれたイタリアのレッジョ・エミリアの取組みを紹介する展覧会。まちぐるみで、分け隔てなく子どもを育てて行くその本質的な背景(土壌)には、6割を越える里親の普及率、社会的養護の浸透(倫理的に当たり前のものとして)も関係しているのかと思い、今年の10月に再度イタリアに探りに行く計画を立てていました。が、それも難しくなってしまいました。
敬愛して止まない緒方貞子さんが、様々な会見、様々な紙面で繰り返し語られる、「一部のものにならない、格差を出さない、どこかを置き去りにしない、すべての人を対象にする…」、包含・包摂的(インクルーシブ)という概念は、個人的にデザインに置ける真理だと思います(先のクリエイティブディレクションを行なった「ナガサキリンネ」のコンセプトワークでも、ここを大切にしました)。社会的養護を必要とする子ども達が、いわゆる、一般的な家庭環境化で育った子ども達とフェアなスタートラインに立って、社会に出て行って欲しいと願っています。その為に、ささやかながらも自分に、デザインでできることを信じて、また力をつけて、戻ってきたいと思っています。
追記
福岡で公開されるかわかりませんが、親と一緒に暮らせない子どもたちと、“隣り合う”大人たちの日常を描いたドキュメンタリー「隣る人」が公開されています。もし観られる環境にいらっしゃっいましたら、ぜひ。