Anonima Impressori.2

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前回に引き続き、Anonima Impressori(facebook)の話を。スタジオ内を案内して下さったMassimoさんは手がけたプレスの話もして下さいました。一通り終わった後、せっかくだからお土産にとたくさんのポスターを袋に詰めてくださいました。一寸迷われたので、後からメンバーから怒られていないか心配です。 つづきを読む

Bologna

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ボローニャ。人口約37万人、大都市に隣接、趣のある都市景観、ユニークな文化と長崎と重なるところは多く、古いものを活かしながら、そして暮らしを楽しみながら、地方都市でありながらも文化による都市再生と独自の発展を遂げてきた空気を少しでも感じに。主に宗田好史さんの著作と、ブックスキューブリックの大井さんから薦められた井上ひさしさんの『ボローニャ紀行』を参考にさせて頂いた。『ボローニャ紀行』は井上さんの軽妙洒脱な文体で読みやすさこの上なかった。ボローニャ方式というものが方法論ではなく精神性にあることがわかり、またボローニャに留まらずそういった別の視点を持つことで、まちのふところを感じることができるので、様々なまちを旅したくなった。その二つの本をなぞるように、いくつかの場所を。

イタリア国内でもボローニャは美食の都市と呼ばれるだけあって、美味しいものも多く、また季節も良かった事もあり、妻は「ポッソ フォトグラファーレ?(写真を撮っても良いですか?)」と声をかけては写真を撮っていた。妻から野菜、食材、料理と説明を受けるもののいまいちどれも同じように見えたが、妻の興奮ぶりからそれが貴重なものだということは、察するにたやすかった。そう、創業100年近くの老舗のリストランテで食したボロネーゼは衝撃的な美味しさだった。それを上回ったのが、ポルチー二のサラダ。生のポルチーニのスライスにパルミッジャーノ・レッジャーノチーズのスライスとルッコラが無造作に皿に乗せられたシンプルなもの。味付けはされておらず、渡されたオリーブオイルと塩、胡椒をかけたのだが、あまりの美味しさにのけぞり、思わずテーブルの端をつかんだ。以降、市場や八百屋を歩けばポルチー二を追うように。そして気付けばトランクは芳醇な香りに満たされていた。

宮本常一さんに習い、知らない町に着いたら高いところに登るようにしている。なのでボローニャの、そして反骨のシンボルである建造から千年を超えるアジネッリの塔に登った。四角い螺旋階段が頂上まで永遠に繰り返される。すり減り、原型を留めていない木製の階段をひたすらに登った。足はすくみ、腰は抜けそうに、そして目眩がするほど登れども登れども頂上は遠かった。けれども、自分の想像が及ばないものに出会ったとき、得も言えぬ愉悦を感じる。浅はかな自分の思考を軽く超えて行った、塔を建てた当時のボローニャの人達の反骨とその精神の成熟と気高さに、ほくそ笑んだ。何度も同じ暗く閉鎖的な風景を繰り返したのち、屋根裏部屋のような場所についた。天井のすみからは小さな白い光が差し込んでいた。その光と自分とを結ぶ、一層窮屈で細い階段を登り表に出ると、清々しい風が一気に身体を包みこんだ。一歩、二歩と踏みしめるように前に進むと、眼下が地平線まで煉瓦色に染まった。そして言葉を失くし、泪が溢れた。なぜならばそれは、手仕事、地産地消、文化など、顔の見える同じコムーネ(共同体)で、ボローニャの人たちが永年「守ってきたもの」そのものだった。

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ボローニャへ

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少しまた旅の話を。レスタウロ(歴史的建造物の保存、修復、創造的活用)を学ぶことと、シビックプライドに寄与するレタープレススタジオを訪ねる為にボローニャへ。ミラノ、チェントラーレ駅近くに宿をとっていたものの、ボローニャ行きの列車はチェントラーレ駅から少し離れたガルバルディ駅からより多く出ていたので、そちらでチケットを購入することに。少し距離があったものの、一昨年のミラノは駆け足で過ぎたこともあり、せっかくだからと歩いていくことに。自転車や犬たちに(ミラノは都心部でも犬連れの人が多い!)目移りしながら、何人もの人たちに道を尋ねながら。妻は道を訪ねたとき別れ際、必ず「ボーナ、ジョルナータ!(良い一日を!)」と声をかけていた。そうするとスマートなおじさまも、モデルのようなミラノっ子も、上品なマダムも、マンマと一緒の若者も、みな決まって飛び切りの笑顔を返してくれた。

ガルバルディ駅では、なかなかチケット売り場に辿り着かなかった。どうやら、歩きすぎたようで駅を通り過ぎ少しすさんだ裏口から入っていた。ホームを通り過ぎ、表に出るとミラノエキスポ2015に向けて駅ビルや駅周辺も大規模な高層ビルの工事が進んでいて、一変した風景に少しおののいてしまった。歩き疲れたことも重なり、駅のすぐ近くにあったバールでブラッド・オレンジの生絞りのジュースを一気に飲み干した。目が覚めるような果実の祝福が五臓六腑に染み渡った。

チケット売り場でチケットを購入し、列車に乗った。せっかくだからと少しだけ良い席を選んでいたこともあり、車内サービスのビスコッティとワインを頂けた。ガルバルディ駅を出てしばらくすると、車窓からは霧で覆われた幽玄な田園風景が続いた。その景色を見ながら「きれいだねえ」と妻に声をかけると返事がなかった。疲れたのかいつの間にか妻が眠りについていた。僕はそのまま、なぜか懐かしさを感じる、遠い記憶のようなその景色をしばらく眺め続けた。

霧のミラノ

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霧に覆われた白いミラノ。石と空。その色の静けさに高揚しがちな気持ちも、おのずと鎮まっていった。

“石と霧のあいだで、ぼくは休暇を愉しむ。大聖堂の広場に来てほっとする。星のかわりに夜ごと、ことばに灯がともる。
生きることほど、人生の疲れを癒してくれるものは、ない”

トリエステ生まれの詩人、ウンベルト・サバさんのこの詩が特に好きで、味わうようによく反芻している。一昨年のミラノは眩しい程の晴天で何処にサバさんがいたのだろうと想像もできなかったけども、この広場の何処かに腰をかけてパイプをふかしていそうで思わず探した。そんな、霧に覆われた白いミラノ。

広場の喧噪から離れて大聖堂の後陣、ガレリア側から軒づたいに少し歩くとサン・カルロ教会はある。その一角にひっそりと店を構えるのがサン・カルロ書店。書店は以前『コルシア書店』と呼ばれ、サバさんの詩を訳した須賀敦子さんにとって大切な場所だった。書店は書店としてだけではなく、ダヴィデ神父を中心として出版や講演会や会議などを行う有機的な共同体を追求する活動拠点でもあった。ガラス張りの陳列棚の通りを抜け、扉を開け挨拶をし、本を一通り眺めた。平積みされたダヴィデ神父の詩集を手に取る。僕のものではない記憶が交差するような奇妙な感覚を感じた。階段を登ると若い頃の須賀さんと、ペッピーノさんが一緒に写った写真が飾ってあった。ペッピーノさんはコルシア書店の実務を支えていた。須賀さんはコルシア書店を通じてペッピーノさんと出会い、生涯のパートナーとなった。妻を呼んでその写真をしばらく眺めた。まったく縁がないのだけど、須賀さんのそのみずみずしい随筆や生き方に親しみを感じていたこともあり、その微笑ましい写真に安堵した。その穏やかな気持ちのまま書店を出てサン・カルロ教会の扉を開けた。大きすぎもせず小さすぎもしないその教会は荘厳さを保ちながらも優しさが滲み出ていた。仄暗さの中に正面、右、左とぽつりぽつりと灯る蝋燭の灯りが安らぎを与えた。その灯りの袂でそれぞれがそれぞれの祈りの時間を過ごしていた。僕らもチャーチチェアに腰掛けた。すうっと一度、深呼吸をして須賀さんとペッピーノさんのうたかたの日々に想いを馳せ、小さく十字を切った。

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また今日から

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戻ってきました。本当にありがとうございました。一昨年のイタリアは活版の源流を辿ることと、観光でしたが今回はより日常に近い場所へ。「“知る”ことは“感じる”ことの半分も重要ではないのです」とレイチェル・カーソンの言葉通り、文化、福祉、まちづくりと、良き出会いと、学びと実りの多い旅になりました。本当に行って良かったです。より心が大きく、そして体が軽くなったことを感じます。イタリアにあるけれど、日本にないもの。ではなく、もともと日本にあるもの、あったけど見えにくいもの。それに気付けた自分の感受性をもっと信じていこうと思います。もっと自由に、のびやかに仕事に励んでいきます。

写真は何でもない階段のくぼみ。今回、デジタルカメラではあまり写真を撮らなかったのですが、レンズを向けずにはいられませんでした。何年も何十年も、ひょっとしたら何百年も日々繰り返し誰かがこの階段を登り、次の場所へと。また誰かと誰かが腰をかけて、悲喜交々語らう為の最小の“場”を提供していたり。その凹んだ分の時間と、通り過ぎ去った人たちに想いを馳せると込み上げてくるものがありました。そうそう、そんな風に私もなりたい、と。人知れず、気付かれず、人の役に立てるような、そんな生き方ができればと思います。旅先では、街角でカフェで列車の中で店先で、至る所で、Bon viaggio(良き旅を)!と声をかけられました。 il grande viaggio della vita!
grandeは素晴しさ、viaggioは旅、そしてvitaは人生。ほんと、人生は素晴しい旅ですね。悲しみも喜びも受け止めて前に歩んで行きます。