ボローニャ。人口約37万人、大都市に隣接、趣のある都市景観、ユニークな文化と長崎と重なるところは多く、古いものを活かしながら、そして暮らしを楽しみながら、地方都市でありながらも文化による都市再生と独自の発展を遂げてきた空気を少しでも感じに。主に宗田好史さんの著作と、ブックスキューブリックの大井さんから薦められた井上ひさしさんの『ボローニャ紀行』を参考にさせて頂いた。『ボローニャ紀行』は井上さんの軽妙洒脱な文体で読みやすさこの上なかった。ボローニャ方式というものが方法論ではなく精神性にあることがわかり、またボローニャに留まらずそういった別の視点を持つことで、まちのふところを感じることができるので、様々なまちを旅したくなった。その二つの本をなぞるように、いくつかの場所を。
イタリア国内でもボローニャは美食の都市と呼ばれるだけあって、美味しいものも多く、また季節も良かった事もあり、妻は「ポッソ フォトグラファーレ?(写真を撮っても良いですか?)」と声をかけては写真を撮っていた。妻から野菜、食材、料理と説明を受けるもののいまいちどれも同じように見えたが、妻の興奮ぶりからそれが貴重なものだということは、察するにたやすかった。そう、創業100年近くの老舗のリストランテで食したボロネーゼは衝撃的な美味しさだった。それを上回ったのが、ポルチー二のサラダ。生のポルチーニのスライスにパルミッジャーノ・レッジャーノチーズのスライスとルッコラが無造作に皿に乗せられたシンプルなもの。味付けはされておらず、渡されたオリーブオイルと塩、胡椒をかけたのだが、あまりの美味しさにのけぞり、思わずテーブルの端をつかんだ。以降、市場や八百屋を歩けばポルチー二を追うように。そして気付けばトランクは芳醇な香りに満たされていた。
宮本常一さんに習い、知らない町に着いたら高いところに登るようにしている。なのでボローニャの、そして反骨のシンボルである建造から千年を超えるアジネッリの塔に登った。四角い螺旋階段が頂上まで永遠に繰り返される。すり減り、原型を留めていない木製の階段をひたすらに登った。足はすくみ、腰は抜けそうに、そして目眩がするほど登れども登れども頂上は遠かった。けれども、自分の想像が及ばないものに出会ったとき、得も言えぬ愉悦を感じる。浅はかな自分の思考を軽く超えて行った、塔を建てた当時のボローニャの人達の反骨とその精神の成熟と気高さに、ほくそ笑んだ。何度も同じ暗く閉鎖的な風景を繰り返したのち、屋根裏部屋のような場所についた。天井のすみからは小さな白い光が差し込んでいた。その光と自分とを結ぶ、一層窮屈で細い階段を登り表に出ると、清々しい風が一気に身体を包みこんだ。一歩、二歩と踏みしめるように前に進むと、眼下が地平線まで煉瓦色に染まった。そして言葉を失くし、泪が溢れた。なぜならばそれは、手仕事、地産地消、文化など、顔の見える同じコムーネ(共同体)で、ボローニャの人たちが永年「守ってきたもの」そのものだった。