ブルームーン

月の満ち欠けと暦のズレから、ごく稀にひと月に2回、満月が訪れることがあり、その2回目の満月のことを、“めったにないこと”、“ありふれていないこと”と言う意味で「ブルームーン(青い月)」と呼ばれています。今日(31日)は、そのブルームーン。見るとしあわせになれるとも言われていますので、月を見上げながら、静かに美味しいお酒でも飲みたいものですね(雨男の自分が言うと一抹の不安がありますが…)。ちなみに、次のブルームーンは2015年7月31日。その次は2018年5月30日。およそ、3年ごとにブルームーンは訪れます。

漉くこと、縫うこと、拾うこと

新しくなった手の間さんで、青い月と紙漉思考室さんの展示「漉くこと、縫うこと、拾うこと」が行なわれます。手の間9号(4P〜29P )で紹介しているブックジャケットを中心に、青い月はこれまでの仕事の紹介と、活版の商品や妻が縫製したものなどの展示。紙漉思考室さんは豊富な和紙の見本と、これまでに行なってきた様々なクリエイターとの仕事を紹介。活版と和紙が繰り広げる穏やかな世界を、手で実際にさわって実感してください。また、期間中、交流会やワークショップも予定しています。交流会ではこれまでの仕事のこと、手の間9号にも綴られていますが、長崎から始まった活版文化や、クリエイティブディレクションを行なっている新しい長崎の動き「ナガサキリンネ」などの話ができればと思います。紙漉思考室の前田さんからは、ブログだけでは伝わってこない様々な仕事の話が聞けると思いますので、僕も楽しみにしています。また、最近、ipadでブログを始めた妻も話します。このような場所に出てくるのはあまりありませんので、温かく迎えて頂きますと幸いです。

寺尾さんから活版を受け継いではや、4年の月日が経とうしています。寺尾さんだけではなく、その世界の人達が築いてくれた上に立つ訳だから、その挟持や領域を決して侵してはいけないという意志と、さまざまな人の想いに応えることができないふがいなさに、随分と苦悩した時間を過ごしてきました。そうして、その悩みなどまるごと含めて伝えてくれた「手の間」が出て、精神的に解放されたと思ったのも束の間、今度は事故で活字が拾えなくなりました(写真はまだ手が正常な頃にカメラマンの志賀さんが撮ってくださったもの)。でも、それは身体的にも我を介在させないという意味だと受け止めています。振り返ってみると、様々な出会いと実りをもたらしれくれた活版というものに、今は心から感謝をしています。みなさまにお会い出来ること、とても楽しみにしています。


漉くこと、縫うこと、拾うこと。-青い月と紙漉思考室の仕事-

日時=12年9月7日(金)〜13日(木)11:00〜18:00
場所=手の間 〒810-0042 福岡市中央区赤坂2丁目3ー32 赤坂MOKUZO2階
http://www.tenoma.net/

●交流会
中川たくま・なつき(青い月)と前田崇治(紙漉思考室)を交えて、三者三様の仕事の話を。
日時=2012年9月7日(金)時間=19:00〜21:00 定員=15人 
参加費=1,500円(飲み物・軽食付き)場所=手の間

●名入れ便箋ワークショップ
ご自身の名前の活字を文選し(拾い)、組版を行ない紙漉思考室の和紙(楮/5枚)に
活版印刷機でプレスをして、オリジナルの名入れ便箋を作ります。
日時=9月8日(土)・9日(日)13:00〜17:00 時間=15分程度
参加費=1,000円 場所=手の間

交流会・ワークショップともに、
お申し込みはメールかお電話で、mail(at)tenoma.net TEL.092-761-0395

立てていく

事故から4ヶ月。ようやく病状が固定(固定と言ってもその日以前とは異なるけれど)。静けさの友である珈琲さえ、カップを右手で持つ様になってしまった。無意識でいたいときに意識しなければならないことが、これから増えていくのだろうが、何より、こうしてリスタートできたことに、感謝しよう。


ナガサキリンネの会議後、別件で長崎県庁へ。自分の、と言うより、“自分たち”の仕事(暮らし)を作っていくイメージ。受け身や何かに寄りかかることなく、関係性のない状態から主体的に、立てていく。もちろん、緊張はあるが、その“立てていく”という行為はデザインの捉え方として、とてもしっくりきている。また、そういう環境に身を置くことで、前向きにもなるし、自ずと心身も奮い立っていくことだろう。



“日本人は独自な美をわれわれの生活の中から見つけてきておりますが、それはじつは生活の立て方の中にあるのだといってよいのではないかと思います。生活を立てるというのは、どういうことなのだろうかというと、自分らの周囲にある環境に対して、どう対応していったか。また、対決していったか。さらにはそれを思案と行動のうえで、どのようにとらえていったか。つまり自然や環境のかかわりあいのしかたの中に生まれでてきたものが、われわれにとっての生活のための デザインではないだろうかと、こう考えております。宮本常一『塩の道/暮らしの形と美』”

お盆に、親愛なる旧友が訪ねて来てくれた。蝋燭作家でもある彼女が蜜蝋で作った蝋燭を携えて。お盆に灯すあかりは故人に故郷の場所を伝える為のものだけど、その灯は事故後、再び歩き出した僕らのこころと足元を照らしてくれた。その温かく、懐かしく、優しい光は消えることなく、これから僕らの進む道も、ずっと灯し続けてくれるものになるのだと思う。全肯定の光だ。何と心強いことだろう。生きてて良かった。素直にそう思えることは人生においてどれくらいあるだろう。本当はもっと彼女のことを話したいけれど、大切なのでそっと胸にしまっておこうと思う。そうして、彼女はいろんな町でも、僕らと同じ様に、灯人(ともしびと)として、誰かのこころや足元を温かい光を灯しているのだろうと思うと、何ともやさしくなれる。

銀河鉄道


「銀河鉄道の夜」のモデルとなった釜石線で花巻から遠野へ。「銀河ステーション、銀河ステーション」と、どこからかふしぎな声が、聞こえそうな土沢駅を抜けると、一気に開けた場所に出る。“「ああ、りんどうの花が咲いている。もうすっかり秋だねえ。」カムパネルラが、窓の外を指さして云いました”と、好きなシーンがあるのだけど、もうひと月くらい後であれば、あたりはりんどうの花で満開なんだろうかと、少しセンチメンタルになった。森深い中を走る列車は少しづつ勾配が上がっていき、そのまま銀河へと連れていってくれるんじゃないかと思ったのも束の間、窓の外には大小様々な鎮守の木立や、社、鳥居が目立ち始める。と、同時に列車の中では、年配の方々の曲家や民話などの会話が聞こえ始めた。そう、いよいよ遠野に来たのだ。