立てていく

事故から4ヶ月。ようやく病状が固定(固定と言ってもその日以前とは異なるけれど)。静けさの友である珈琲さえ、カップを右手で持つ様になってしまった。無意識でいたいときに意識しなければならないことが、これから増えていくのだろうが、何より、こうしてリスタートできたことに、感謝しよう。


ナガサキリンネの会議後、別件で長崎県庁へ。自分の、と言うより、“自分たち”の仕事(暮らし)を作っていくイメージ。受け身や何かに寄りかかることなく、関係性のない状態から主体的に、立てていく。もちろん、緊張はあるが、その“立てていく”という行為はデザインの捉え方として、とてもしっくりきている。また、そういう環境に身を置くことで、前向きにもなるし、自ずと心身も奮い立っていくことだろう。



“日本人は独自な美をわれわれの生活の中から見つけてきておりますが、それはじつは生活の立て方の中にあるのだといってよいのではないかと思います。生活を立てるというのは、どういうことなのだろうかというと、自分らの周囲にある環境に対して、どう対応していったか。また、対決していったか。さらにはそれを思案と行動のうえで、どのようにとらえていったか。つまり自然や環境のかかわりあいのしかたの中に生まれでてきたものが、われわれにとっての生活のための デザインではないだろうかと、こう考えております。宮本常一『塩の道/暮らしの形と美』”