霧のミラノ

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霧に覆われた白いミラノ。石と空。その色の静けさに高揚しがちな気持ちも、おのずと鎮まっていった。

“石と霧のあいだで、ぼくは休暇を愉しむ。大聖堂の広場に来てほっとする。星のかわりに夜ごと、ことばに灯がともる。
生きることほど、人生の疲れを癒してくれるものは、ない”

トリエステ生まれの詩人、ウンベルト・サバさんのこの詩が特に好きで、味わうようによく反芻している。一昨年のミラノは眩しい程の晴天で何処にサバさんがいたのだろうと想像もできなかったけども、この広場の何処かに腰をかけてパイプをふかしていそうで思わず探した。そんな、霧に覆われた白いミラノ。

広場の喧噪から離れて大聖堂の後陣、ガレリア側から軒づたいに少し歩くとサン・カルロ教会はある。その一角にひっそりと店を構えるのがサン・カルロ書店。書店は以前『コルシア書店』と呼ばれ、サバさんの詩を訳した須賀敦子さんにとって大切な場所だった。書店は書店としてだけではなく、ダヴィデ神父を中心として出版や講演会や会議などを行う有機的な共同体を追求する活動拠点でもあった。ガラス張りの陳列棚の通りを抜け、扉を開け挨拶をし、本を一通り眺めた。平積みされたダヴィデ神父の詩集を手に取る。僕のものではない記憶が交差するような奇妙な感覚を感じた。階段を登ると若い頃の須賀さんと、ペッピーノさんが一緒に写った写真が飾ってあった。ペッピーノさんはコルシア書店の実務を支えていた。須賀さんはコルシア書店を通じてペッピーノさんと出会い、生涯のパートナーとなった。妻を呼んでその写真をしばらく眺めた。まったく縁がないのだけど、須賀さんのそのみずみずしい随筆や生き方に親しみを感じていたこともあり、その微笑ましい写真に安堵した。その穏やかな気持ちのまま書店を出てサン・カルロ教会の扉を開けた。大きすぎもせず小さすぎもしないその教会は荘厳さを保ちながらも優しさが滲み出ていた。仄暗さの中に正面、右、左とぽつりぽつりと灯る蝋燭の灯りが安らぎを与えた。その灯りの袂でそれぞれがそれぞれの祈りの時間を過ごしていた。僕らもチャーチチェアに腰掛けた。すうっと一度、深呼吸をして須賀さんとペッピーノさんのうたかたの日々に想いを馳せ、小さく十字を切った。

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