ポルトガル船が来航し、今年450周年記念式典を控える西海市に、活版に関することで呼ばれる。活版印刷を日本に伝えた天正遣欧少年使節の四人の中で唯一殉教した中浦ジュリアンの生誕地でもあり、個人的にも訪れてみたい場所だった。式典が行なわれる横瀬浦の港は、ルイス・フロイスが日本の地を初めて踏みしめた地であり、当時の領主、大村純忠が洗礼を受け日本最初のキリシタン大名になった場所でもある。眼下に港を見下ろせる丘には教会が建ち、各地から信者が訪れ、商人街も形成され多いに栄えたという。だが、その繁栄は刹那で2年と持たず、領内の仏教弾圧の反感から内乱が起こり、一夜で街が全て焼き尽くされたそうだ。キリスト教の繁栄を微塵も感じさせない今の横瀬浦の風景が何処か、加津佐を訪れた時の心境と重なった。焼失後、港は福田を経て、現在の長崎港へと移る。横瀬浦には、「思案橋」、「丸山」など長崎市でも馴染みのある名前がいくつかあった。内乱がなければ、ここが「長崎」だったと言われる所以。名残と呼ぶには余りにも頼りないが、だからこそ浪漫を感じるのだろう。写真は、ポルトガル船が港に入る目印となった白い十字架がある八ノ子島と、かつて教会があったとされる丘から横瀬浦を見下ろしたもの。
元を辿れば、天正遣欧少年使節は大村純忠の名代としてローマに派遣された訳であって、おこがましくも活版とその周辺の過去と今とを繋ぎ、未来へ伝えていこうと、彼らの足跡を辿っていたが、思わぬかたちでの活版巡礼となった。さまざまな見えない力に導かれるように、めぐりつながっていく不思議さ。活版の長い時の流れに浮かぶ一葉でしかないことを自覚し、活字を巡る旅を続けようと思う。
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しこふむ#1
最近、県庁に通うようになった。新緑の美しい季節。この木立を自転車で抜けるのが気持ち良い。気付けば、口笛かハミング。
水面下で進んでいた福岡県広域地域振興課の宗像・糟屋北部地域のプロジェクトが公になった。新宮町・古賀市・福津市・宗像市の頭文字をとって「しこふむ」。その「しこふむ」地域が連携して産業振興を目指していく。三年計画で、その第一回実行委員会が開催された。県と、四市町村の担当課と、各商工会が揃ったその会議に参加を。まだ数回しか訪れていないが、しこふむ地域はすべて海に面していることもあり、海産物の印象が強いが実は赤間、畦町、青柳と唐津街道でもつながっており、歴史ある商品もいくつかある。海の道と民の路から生まれた商品が、どう社会が求めるものに変わっていくか。ますます“デザイン以前”に関心が高まる、昨今、この事業を俯瞰で捉えて行ければと思う。まずは6月、フォーラム。