一昨日の朝日新聞に九州の新しい世代の活版職人の特集が掲載されました。小値賀島、晋弘舎のももこさんと、熊本の九州活版印刷所さんと、CULTAさんと青い月。普段、地味で孤独な作業だけにとても励みになりました。記者の方は岩手にいらっしゃった事もあり、賢治さんの話で盛り上がりました。僕の活動はわかりにくいのですが、それを的確に伝えて下さりとても嬉しく思います。ありがとうございました。
掲載された朝日新聞の記事を抜粋。
長崎は16世紀、日本に始めてグーテンベルク式活版印刷機が伝わった発祥の地だ。「始まりの場所である長崎の人たちに知って欲しい」。福岡市のデザイン事務所「青い月」の中川たくまさんは、長崎に通い、活版印刷の文化を残す独自の取り組みを進めている。「ブームはいずれ過ぎ去るが、文化は受け継がれる。自分のまちの話なら愛着も涌く」と小学校での体験授業や市民参加型の催しを企画。名刺印刷などの仕事はせず、啓蒙活動にかけ回る。
宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」で活版所を知った。デザイナーとして仕事をしていた時、福岡市内の活版職人が病で店じまいをすると聞き、弟子となって修業。技と心意気を受け継いだ。
来年、長崎市の出島に活版印刷に定期的に触れられる場を設ける計画が進む。「活版のある風景が当たり前になれば、やがてそれが文化に変わっていくと思います」
ちょうど掲載があったその日は、明治頃のフート機(foot press 電気を使わない足踏み式の活版印刷機)のメンテナンスをして使えるようにし、新聞を刷っていました。シュ、シュッとローラーにインクが染み込み、あたかも永年、動いていたかのようにカン、タタン、タンと温かな音が蘇り、1枚1枚プレスされ、胸が熱くなりました。記事にもありますが来年は誰かの事を想ったり、自分の時間を愛おしんだりと、よりパーソナルなものに活版がなれるような場づくりを計画しています。