あこがれ

ランドナーに乗るようになって、無性に写真を撮りたくなっていった。風景や光景を愛おしみたく、フィルムで。光を撮りたいので、モノクロかセピアで。ツァイスのレンズのいろいろを調べて、手に触れたり、撮った写真を見せて頂き、購入する寸前まで行ったのだけど、少しためらう。

それ相応のレンズを使えば、それなりに写るだろうけど、そういうのじゃないな、と。ランドナーも当初、見た目や評判からイギリス製のランドナーを選ぼうとしていたのだが、結局は、日本製のARAYAを。なので、カメラもやっぱり、しっくりくる日本製のをと、思って何となく宮本常一さんの本を眺めていたら、手にはカメラが。宮本さんは勿論、フォトグラファーではなく民俗学者だけども、宮本さんのその眼差しが、とても好きだ。なので、単純だけども宮本さんが愛したキャノネットかPENを探すことに(Sか、Dか、F、FT、どれにするかはこれから)。見ためや評判よりも、自分が愛着を持てるものを。“あこがれ”というものは、つくづく、自分を正直に、透明にしてくれるエッセンス。ランドナーにはしばらく乗れないが、東北にはフィルムカメラを持っていきたいと思う。

より愛しく、より深いものに

治療も終わりが近づき包帯を外して交通事故後、はじめて左手を見る。かつて、これほどまでに絶望と喪失感に苛まれたことはなかった。不確かなはずの未来が、確実なものとしてそこにあった。いや、あるというよりは無かった。あるはずなものが無かった。利き手だった。それは一つの終わりを意味していた。鈍色の分厚い雲に覆われ、重く出口のない虚無感という闇に押し潰されてしまいそうになる。

でも、笑っていたいと思う。愛する人達を、必要としてくれる人達を、笑わせたいと思う。喜ばせたいと思う。どんな困難な局面でも、誰かや何かのせいにする事もなく、諦めずにより良い方へ向かおうとするのは、唯一にして最高の資質だと、妻が言う。今はまだ、この現状が何を意味するのかはわからないが、人生をより愛しく、より深いものにしてくれることだけは確か。「受け入れる」ということは、決して「諦める」ということではないはずだから。


分岐点

ようやく痛みが和らいできた。意識して、少しづつ出歩くように。何だか歩きづらいと思うと、革靴の底が歪に随分と欠けてしまっていた。引きずって歩いてた頃は靴に特に違和感を感じていなかったが、歩きづらさから回復を知るのも、何とも妙なものだ。それにしても欠けた靴底は何処へ行ってしまったのだろう。

思いがけないところで思いがけない人と出会う。何というめぐりあわせだろうと思う。まるで線路の分岐点でポイントが変わるように、日常の細部で、微かに感情の流れが変わる瞬間がある。それらに耳を澄ませ、身を委ねてみようと思う。見えない“もの”たちが、粋な計らいをし、思いがけない未来を届けてくれるような気がするのだ。

事故にあった日以降、世界はより鮮明に写りはじめた。働き始めた十代の頃、Aの人生とBの人生があって僕はAの人生を選んだ。と、思っていたが、それは当時の僕にとっての精一杯の分岐点だったのだろう。今、目の前に現れたものが、僕に与えられた分岐点だとすると、あの頃の僕だったら、きっと怖くて仕方がなかっただろうと思う。でも、あの頃の決断が、歪ながらも充分な轍を作ってくれた。傲ることもなければ、臆することもない。このまま、自然に進もうと思う。