イーハトーヴへ。

イーハトーヴ(岩手)行きのチケットをとった。何かを“計画”することを臆してしまうし、体力の自信もないが、行けない要因を確かめるより、行ける方法を見つけようと思う。そんな日常の細部が、前を向かせてくれる。子どもの頃から、いつか、宮澤賢治さんの故郷、岩手へ行きたいと思っていた。その“いつか”は今年だったのかもしれない。今となっては恥ずかしい想い出だが、妻に初めて贈ったのは、高村光太郎さんの詩集だった。賢さんと慕う光太郎さんが装幀した「宮澤賢治全集」は、僕の中で一層、美しさを増している。そんな二人が暮らした花巻へと。妻は妻で、啄木さんが、好きだと言う。「友がみな われよりえらく 見ゆる日よ 花を買ひ来て 妻としたしむ」と、この詩が好きだと言う。ちょうど、没後100年。これも何かのめぐりあわせだと思う。遠野へも。今年が柳田さんの没後50年とはこれもやはり、何かのめぐりあわせだろう。民芸とデザインは語られることは多くとも、民俗学とデザインとは、なかなか語られる事がない。けれども、物そのものよりも、もう少し俯瞰で、人々の暮らしや地域を鑑みると、やはりこれからはデザインの面でも民俗学的見地の援用は、ますます必要になってくると感じている。民俗学に関しては未だ、入口付近でうろうろとしているに過ぎないので、扉を開けてみようと思う。

励まされる日々。それは確かに生きる活力となり、人生の有り難みを感じさせてくれる。震災後、親愛なる友人が暮らす岩手へと、すぐには動けなかった。少し話せるようになったら、そばに行って励ましたいと思っていた。大げさなものではなく己の営為として、関わり続けれる事も見つけてきたいと思う。“いつか”という淡く不確かなものでなく、この夏に。