外海へサイクルツーリング

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選挙の前日に長崎駅から自転車で外海(そとめ)へ行ってきました。祖父は爆心地の近く、城山で暮らしていました。子どもの頃、よく散歩で平和公園に連れてきてもらいました。祖父を始め、先人達が守ってきてくれた“今”を僕らも守りたいと、まず平和公園へ行って手を組み平和を祈りました。

それから、稲佐山を越えて長崎漁港へと出て、いくつもの峠を越えて外海(そとめ)まで。距離に換算すると往復100km近く。世界遺産の登録を控えている教会を巡りながら、目的地、大野教会まで。長崎の世界遺産登録で評価されるべきはハード面よりもその精神性、迫害と弾圧とを受けながらも信仰を守り続けた人々の歴史。この厳しく貧しい土地が観光地となり大型バスがやってくるのはさすがにイメージできないなと矛盾を抱きながらも、それすらを“沈黙”のまま受け止めるのが、この外海の土地性なのかと思ったり。これから個人的にも関わりが増えて行く中で、見落とすべきでないものにしっかりと眼差しを向けて行きたいな、と。

それにしても外海は過酷。炎天下なら尚更。ペットボトルを10本以上飲んでも一度もトイレに行かず全部、汗となり空へと消えていきました。けれども今回、車に頼らず自分の足だけで来れて本当に良かったと思います。目的地よりもその道程に多くの示唆と実感とがあります。断崖から突き上げ、また峠から吹き下ろす風を感じれたのも良かったです。“風がすっぽり体をつつむ時、それは古い物語が吹いてきたのだと思えばいい。風こそは信じがたいほどやわらかい、真の化石なのだ”と、星野道夫さんが引用されてたのを思い出しました。人の力だけで走り、風を感じれる自転車は本当にしわせな道具だと思います。分解するとセッティングがまた最初からになるけれども、調整がうまくいって心が通い合うと、何処までも行けそうな気がします。強張ったかなと思って自分の腿やふくらはぎを撫でると、まだまだ行けますよと語りかけているように思えてくるから滑稽です。でもその瞬間、自分の足も道具に、そして己も自然の一部だということを実感します。“古い物語”に包まれた瞬間、この上ない幸福感に包まれます。自分にとってのしあわせは経済的なものよりも、やっぱりそちら側だと今回の外海へのサイクルツーリングで改めて再確認できました。よっぽど充実していたのでしょう。帰宅するなり妻が開口一番、「何か、一皮むけたね」と。その時の様子を綴っています

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前日は遅くまで、長崎県美術館、国指定史跡「出島」のみなさんと。たのしいひとときでした。奥に見える稲佐山を越えていきます。

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平和祈念像。上に指さした右手は原爆の脅威を、水平にのばした左手は平和を。祖父はいつも「平和がいちばん、平和がいちばん」と。撃沈され命からがら長崎に戻ってきたら焦土となった故郷。想像すらできません。永遠の平和を祈ります。

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稲佐山を越えました。長住サイクルで教えてもらった呼吸法で助かりました。

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長崎漁港を過ぎ、いくつもの峠を越えていきます。

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外海に入りました。荘厳な景色が続きます。その険しさの中に咲く、オレンジ色のヤマユリが何とも美しい。

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黒崎教会。

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「夕陽が丘そとめ」。今度は夕暮れ時に。

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遠藤周作文学館より。遠くに池島。その奥にかすかに五島。

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出津教会。ド・ロさんが建てた、旧出津救助院も新しくなり一般公開が始まっていました。その話は後日。

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断崖から下を覗き込むと、小さなボートがぽつり。カプリ島を想いだし、見ているこちらまでしあわせな気持ちに。

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大野教会。最も美しい教会。その佇まいから感じる、ド・ロ神父さんと信者さんたちの物語。

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また来ます。

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妻が帰宅するなり“夏休みに冒険をした少年のようだ”と。笑。道程は険しく、でも心は素直にいつも楽しく。人生にも同じことが言えますね。