生まれ変わる

「何も心配せんでよか」とおじさんのその言葉の通り、ランドナーが生まれ変わって帰ってきた。交通事故の後遺障害で、ドロップハンドルのブレーキを握ることが出来なくなってしまった。だが、負荷を減少した状態でブレーキをかけることができるように、オリジナルで仕上げてくれた。新しい技術ではなく、より人に近い日本製のオールドパーツを使ってというのも、また嬉しい。子どもの頃から僕を知っているおじさんが、泪ながらにかけて下さった言葉を胸に、これからの人生を楽しみたいと思う。

ようやく包帯も外れた。妻も事故後、初めて左手を見る。その場に泣き崩れる。と、思いきや意外にも毅然としている。淡々と処置をしてくれる。かわいいとさえ言う。覚悟した女性は本当に強いなと思う。見えない痛みはふたりのものだと。夫婦の本当の意味を知る。

随分と、永らく休みをとった。文字通り、身も心も生まれ変わってのリスタート。これほどまでに鮮明な人生の岐路などあろうか。事故後、世界はよりコントラストを増したが、この言葉は変わらず確かなものだった。今の僕にとって、とても腑に落ちるものなので、もう一度。



“現代において何事も「広げる」ことがもてはやされている。知識を 広げ、仕事を広げ、ネットワークを広げと、どれだけ多くのことをコミットできるか試されているようだ〜中略〜自身が立つ足元の地平を横へ横へと闇雲に広げ ていったところで、それがせいぜい蜘蛛の糸か今にも割れそうな薄氷のごときものでできているのなら、その上を歩くのもままならない。それよりもこの足元か ら深く掘り下げていけば、まるで地球の裏側にでも彫り貫いたかのような未知なる空間が広がっているかもしれないのだ。たしかに効率的ではないし、そんな広 がりに到達できるにしても生きているうちには無理かもしれない。でも、それでもいいと思えるのは、自分が生きているのは自分ひとりの力ではなく、家族や友 人、自然、歴史、未来、あらゆるものとつながって生き、生かされていることが腑に落ちているからだろう。あらゆるものとつながりながら生きて在る訳だか ら、あらゆるものとつながろうと今さら手を広げる必要もない ” 「糸の先へ -いのちを紡ぐ手、布に染まる世界/福岡県立美術館」の図録より





掘り下げよう。深く潜ろう。そこに広大な銀河があることは、すでにわかっているのだから。