星野さんに会いに

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「想い続けた夢がかなう日の朝は、どうして心がシーンと静まりかえるのだろう」。星野道夫さんの、その言葉を思い出さずにはいられない朝だった。暁の朧げな薄明をしばらく眺めていると太陽が顔を出し、雲一つない清らかな空をゆっくりと茜色に染めていった。音がするはずなのに何も聞こえない包み込まれるような静けさの中で、僕はこの朝の光のことをずっと忘れはしないだろうと思った。

子どもの頃に星野さんに出会えたというのは、僕の人生にとって決定的なことだった。そして、“もうひとつの時間”のことも。僕らが毎日を生きている同じ瞬間、ザトウクジラは宙を舞い、ヒグマは力強く歩みを進め、大勢のカリブーは水しぶきを飛ばし河を渡っている…。そんなゆったりとした時間のことを心の片隅に意識できるかどうか、それは天と地の差ほど大きいと、繰り返し星野さんは伝え続けた。日々の暮らしの中で、どうしようもない些細なことで悩んだりもするけれど、折りに触れその“もうひとつの時間”のことを想い出し彼らの鼓動に想いを馳せると、自分の小ささが可笑しく思えてきて、もう少しがんばってみようと何処からともなく力が涌いてくる。そんな風に毎日を過ごし、気付けばいつの間にか大人になっていた。そして、あの日がなければ毎日はそのまま続いて行くものだと思っていた。

Life is what happen to you while you are maiking other plans.
“人生とは、何かを計画している時起きてしまう別の出来事のこと”

星野道夫さんの友人の女性ブッシュパイロット、シリア・ハンターさんの言葉。僕はこの言葉をこれまでどちらかというと、ポジティブなものとして捉えていた。極論を言うと、ポジティブであることには変わりはないが、この言葉がこれほど響くことはかつてなかった。五月の爽やかな風を身体で感じ、喜びながら自転車に乗っていたあの日、僕は事故に遭い身体が不自由になった。でも歩ける、でも話せる。生かされていることと、与えられた時間も限られていることを実感した。そして、その限られた時間というのは、何を成すのかではなく、何をすべきかを教えてくれた。塞ぎ込むことも誰かのせいにすることもなく前向きでいれたのは星野さんの写真や言葉も大きかった。それだけに留まらずこれまで言い尽くせない程のたくさんのものを貰っていて、一言やっぱりどうしても御礼を(子どもの頃からの願いでもあり)伝えたくなった。そして、星野さんのご夫人である直子さん(以降、混同するので、直子さん、道夫さんで)に手紙を綴った。それから、何度かやりとりを交わし、会いにいくことになった。

前置きが長くなった。直子さんはとても花が好き。直子さんがまだ花の学校に通っていた頃、女性ばかりのその場所にあまりにも不格好な人が現れた。「君がそんなにも大好きな花の世界を一度、ぜひ見ておこうと思って」と、ふいに現れたのは道夫さんだったという、そのエピソードが僕はとても好きだ。

千葉のとある駅で降り立った僕は花屋さんを探した。なぜか、どうしてもミモザを届けたかった。幸運にも花屋を見つけ、その一番奥のケースに大振りなミモザを見つけ、ドアを開け注文し、ミモザだけの花束を作ってもらった。前が見えなくなるほどの大きな花束を手前に抱え心弾みながらしばらく歩いて、直子さんのところまで。深呼吸をして呼吸を整えてチャイムを鳴らすと、直子さんが現れた。柔らかな風のような佇まいから、一層やさしいそよ風のような声色で「はじめまして」と。僕も応えてミモザを渡すと、「一番好きな花なんです」と、とても喜んで受け取って下さり、一気に身体が緩んでいった。玄関を上がるとすぐに道夫さんの写真。黒く日焼けした勇ましくもやさしい表情の顔の下には、あまりにも不釣り合いな可愛くお茶目なシロクマのセーター。聞けば、高齢のエスキモーのおばあさんが道夫さんの為に編んで下さったものらしく、それをとても大事にされていたそう。何とも道夫さんらしいな、と感じつつその道夫さんの写真に手を合わせ、心の中でたくさんの御礼を言った。子ども時代の僕の分も。二十代の僕の分も。

直子さんとしばらく時間を忘れて話した。はじめて道夫さんと旅をしたときのこと、グリズリー(ハイイログマ)やカリブーに会ったときのこと、一気に大地を染めて行く花々を見たときのこと、そしてはじめてオーロラを見た時のこと…。道夫さんからプロポーズを受けて、まだ迷っていたときアラスカを訪れ、はじめてオーロラを見たとき、そのオーロラが「大丈夫だよ」と語りかけているようで、アラスカで一緒に暮らして行こうと決めました、と。そんな風に、たくさんの話をしてくださった。僕には勿体ない特別な時間だった。これまで道夫さんの写真や文章でしか知らなかった遠いアラスカが、直子さんのそのそよ風のようなやさしい声で語られることで、目の前にアラスカの風景が広がった。そう、まるで一緒に旅をしたようだった。

そして、僕の話も少し。日々の暮らしの中でも、岐路に立たされた時でも道夫さんに随分と支えられていること。そして、道夫さんの影響で動物の写真を撮るようになったこと。でも、近くに大きな自然はなかったので、動物園に足しげく通って写真を撮っていたこと。そして今、福岡市の動物園はダイナミックな行動展示にリニューアルをしていて、それを察するようにシロクマのユキ、カバのカンナ、ゴリラのウィリーなど老齢だった彼らはそっと亡くなっていったことなど(元気なときだけでなく、一生を通して命を見つめて欲しいと)。また、僕の友人も含め、ひとそれぞれの心の中に、それぞれの道夫さんが今も生き続けているということ。そして道夫さんのことを今は知らなくても、必要としている人が必ずいるということ。そんな話をしている中で、僕はデザインを生業としていることもあり、道夫さんのことをちゃんと届けるものをデザインすることに。もちろん、人それぞれの中に道夫さんは今も生きていて、それを崩さないようにゆっくりと時間をかけてずっと永く愛されるものを、と。まだまだ話足りなかったけれども、長い時間話したこともあり次回に持ち越すことに。目の前に“白地図”が広がったのが何よりも嬉しかった。方位磁石も羅針盤もなければ、目的地さえわからないけれども、デザインという旅を一緒にできるということが、心底嬉しかった。そして今、直子さんはアラスカへ。僕も体力をつけて、そう遠くない日にお二人が見た風景を見れればと思う。

空港にて搭乗を待つ間、待合室で「旅をする木」を読んでいると福岡発の飛行機の中で読んだそれと印象が異なった。それは亡くなった後も永遠に送り続ける道夫さんから直子さんへのラブレターのような気がした。直子さんの前で泣いちゃいけないと思っていたのと、子どもの頃からの夢や願いなど様々な感情が一気に想い起こされ堰が溢れ、思いっきり泣いた。空港なので男性ひとり泪を流していても大丈夫だろうと、そのままはばからず泪を流した。あいにくハンカチを忘れていたので、眼鏡拭きで泪を拭いた。二十年以上前のあの日、あの時、図書室で星野さんの写真集を手にしてくれた彼に、心からの感謝を伝えながら。