本木活字と筑紫新聞

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活版を受け継いだとき、その技術や道具を自分だけのものとするのではなく、まちにどう活かすか、未来にどう残すかを考えました。1590年頃に長崎で始まった活版印刷。なので、そのまちにあるのが相応しいと50年先ぐらいをイメージしながら、ワークショップやトーク、小学校に出張授業を行ったり、美術館や行政などに企画を持ち込み続けています。

長崎は観光都市ですが、文化都市になる可能性も大いに秘めていて、その中で活版は重要な文化資源、社会資本になりえると伝え続けているのですが(その為にボローニャにも足を運んだり)、道はなかなかに険しいものです。僕の古い友人が、「子どもに、“良いやん”と言われるデザインがしたい」と言いました。僕はその言葉が好きで、僕のこの行為もデザインと捉えるのならば、何かのかたちで残すことができたとき未来の子どもたちがそんなことを思ってくれたなら、これほど嬉しいことはありません。

さて、そんな中、パチっと音が聞こえるような嬉しい知らせが届いたのでお知らせします。芸術工学会に属し『筑紫新聞』について研究を続けられている、大串さんという方がいらっしゃいます。筑紫新聞は明治初期にここ福岡で発刊された現在の西日本新聞の源流となった新聞です。大串さんは、その筑紫新聞の印刷方法と使用された文字の解明を行われていて、一昨年の本木昌造の命日に行われる法要会ではお話もされました。諏訪神社に大切に保管されている本木昌造などによって作られたと言われる日本初の鋳造活字(活版印刷の活字)の父型ともいえる木製の種字。これを文化財に指定してもらう為、申請を行って一昨年には、文化庁の方々が長崎を訪れ調査が行われました。結果は、必ずしも本木昌造が作ったものだと断定できない。この種字が明治初期の本木種字であることが確定される必要があるという残念なものでした。

そんな中、大串さんは研究論文の中で、筑紫新聞に使用されていたのは、本木活字じゃないかと、その諏訪神社の種字と筑紫新聞に使用された文字の照合を行われて、その一致を確認されました。それは何を意味するかというと、文化庁から指摘された「諏訪神社の種字が、本木種字であることが確定される必要がある」ということをクリアすることになります。大串さんの過程を知っているのと、長崎の印刷人たちの想いも知っているので、本当に嬉しい知らせです。

その大串さんが6/4日(水)、九州大学・大橋サテライト・ルネットで16時半から18時まで論文の公開発表会を行われます。題名は「『筑紫新聞』第壱號の版式と文字に関する研究」です。かなり専門的な内容かとは思いますが、文字や活字、印刷に興味のある方はぜひ、足を運ばれてみてください。