A loving home for every child

ヴィジュアルデザインを行なった「子どもの村福岡」。先月、国際NGO「SOS children’s village」の日本に於ける組織、「日本SOS子どもの村」の設立総会も行なわれました。ブランドブックとにらめっこしながら、デザインガイドラインを現在、つくっています。今年に入り、震災後の震災孤児支援、その子ども達を養育する家庭の長期的支援を目的に仙台に「子どもの村東北」も設立されました。先日、福岡市では「ファミリーシップふくおか(里親養育支援共働事業実行委員会)」と福岡市の共催によるフォーラムも開催され、少しづつ社会的養護への関心が高まってきていることを感じています。

11月は虐待防止月間と言う事もあり、より多くの人々に、家族と暮らせない子どもたちを社会全体で育んで行くことの大切さを発信する為に、新聞広告をつくることになりました。現在、その応援団(スポンサー)を募集していますので(匿名でも大丈夫です)、関心を持たれた方はぜひ御協力をよろしくお願い致します。オンラインでも寄付することができます。




追記
親と暮せない子どもたちと“隣り合う”大人たちを8年間追った、ドキュメンタリー「隣る人」が、9/29(土)から中州大洋で上映されます。こちらも、ぜひ。

社会的養護とデザイン



どうか、これ以上、被害が広がりませんように。




4年程前。義務教育が終了した後、児童養護施設を退所した子どもや、様々な事情で家族と離れて暮す子どもが、働きながら自立を目指していくことを支援する「自立援助ホーム かんらん舎」が出来ると聞いて伺わせていただいた。福大近くのいわゆる、“ふつう”の一軒家(“ふつう”と言う言葉は社会的養護の観点では使うことを躊躇するが、この場合は相応しいものとして)で、さまざまな事情を抱えた子どもたちが暮し、支援するおとなの姿があった。現在では、20名強の子どもたちがここを出て、社会へ巣だっていったそうだ。福岡市にはそういった自立援助ホームはひとつしかなく(全国にも数十カ所しかない)、上記のような子どもたちを一心に受け止めている。そういった支援を必要とする子ども達は、その何十倍も存在すると言われている。自立援助ホームの存在は社会へ巣立つ子ども達の、物質的・精神的な基本的必要を満たす訳だから、こういった場所にこそ、デザインは必要だと思っている。デザインは今は皆無だが、ロールモデル(空家を利用したもうひとつのシェアハウス等)になりそうな要素も多分にあると思っているので、引き続き探っていきたい。

さて、本題。その「かんらん舎」の母体である「青少年の自立を支える福岡の会」が、東京の児童養護施設から社会に巣立つ子どもたちの自立支援を行なうNPO「Bridge for smile」(以下B4S)の代表の林さんを福岡に呼ぶとお聞きしたので大雨の中、春日まで。福岡の児童養護施設関係者、里親、行政関係者など、社会的養護、児童福祉に関わる方が大勢集まって、熱心に耳を傾けていた。B4Sの活動は、これまでの社会的養護を必要とする子どもたちの取組みと一線を画していて、一人暮らしを準備するまでの「巣立ちプロジェクト」や社会に出た後の子ども達をフォローする「アトモプロジェクト」、子どもたちが夢を語る場「カナエール」などデザイン的な(遊び心?)要素を仄かに感じていた。井上ひさしさんの言葉だが、「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをゆかいに、ゆかいなことをまじめに〜」は、デザインを行なうときに心掛けていることだが、こういった重く深い領域にこそ、わかりやすさとやさしさが必要で、B4Sが行なう様々な取組みはそれらを体現しているような気がしていたので、直に話が聞けて良かった。何より秀逸だと感じたのが、子どもたち、施設内、施設間、施設と社会間などへのアプローチを全方位的に同時に成立させている(させようとしている)ことだった。もちろん、そういった取組みは現場からは異質なもの、ときには劇薬に見られがちだが、それを自覚、配慮しながら行なわれているのが、更に印象的だった(言葉選びひとつをとっても)。動機はどうあれ何かに一度、光を当てたり関わりをもったら、その対象に敬意を払い続けることが大切だと感じている。周囲の反応はどうあれ、何よりその対象である子どもたちが、永続的に希望を持ち続けているB4Sの取組みに学ぶことは多い。



追記
ちなみに、B4Sさんの新しくなったホームページは、プロボノ(仕事のスキルを活かして行なうボランティア)によって作られている。福岡にも「ふくおかかつぎてけいかく」というプロボノの取組みがある(webサイトのデザインはCGFMさん)。児童福祉に限らず、さまざまな悩みや課題を抱えているNPOや各種団体の方は、一度お問い合わせを。また、デザインに関わりがある方をはじめ、何かしらのスキルをお持ちの方は、「支援する側」として、そういう働き方もあるので、ぜひ。

伝えるということ

ロゴやwebサイトをデザインした「PLAY FUKUOKA」さんからの依頼で、篠栗の福岡県立社会教育センターで行なわれた「子どもの遊び場 北部九州合同集会」で講演を。怪我のこともあり、今のタイミングで見知らぬ人の前で話すことに少し臆するも、今のタイミングだからこそ、励ましたいし、伝えなきゃいけないことがあるんじゃなきだろうかと思い、話させて頂く。


北九州市から南は鹿児島まで。子どもの現場で活動するさまざまなNPO、団体の方々が訪れていた。与えられたテーマは「発信力」。現場で活動している方たちは、本業に追われ、発信が疎かになってしまうのは、周知の事実。じゃあ、誰でも簡単に発信ができるfacebookなどのソーシャルメディアを使って、プロジェクトを立ち上げたり、セルフブランディングを行なっていく。なんて話はせずに、むしろ、むやみに発信なんかしなくても良いんじゃないかと、身も蓋も無いことを話す。大切なことは、声の大きさではなく、例え、ささやきぐらい小さなものだとしても、日常的に声をかけ続けることの方が大事なんじゃないかと思っている。確かに時間はかかるかもしれないけれども、外ではなくその「対象」や「物事」にかけ続ける声は“ノイズ”にならず、どこまでも、いつまでも、響き渡るものになっていく。

何かを行なうことでの、その評価や効果。誰とつながっておけば良いだろう。などと「自分」を基準とするのではなく、まず、その対象や物事を基準とし、眼差しと好奇心、そして愛情を持って、フラットな立ち位置であれば、それを見守る人達のこころにも対象や物事の居場所がうまれ、一緒に楽しみながら、育んでいくことができる。主張を押し付けることなく余白(あそび)を残し、そして、どこかを置き去りにしない。等と、日頃思っていることを伝える。


その後、みなさん、ひとりひとりに自己紹介をしていただき、ディスカッションを。あっという間に三時間が過ぎる。伝えようとするのでなく、その人の想い、日々の行ない、そして存在そのものが、すでに伝えることになっているんじゃないか。と、終始、穏やかな雰囲気の中、会は終了した。いらっしゃった方には懐かしい顔もあった。「わたしはここにいます」と一度、旗を掲げたら、その旗を掲げ続けることが大切なんだと改めて気付かされる。見すぼらしくてもいい。いびつでもいい。向かい風もあっていい。風が強ければ強いほど、その旗は鮮やかに、大空に、はためくのだから。
共にがんばっていきましょう。