陸前高田から帰ってきました。“3.11をきっかけに”と言う言葉は、ここ福岡で今も良く耳にします。ですが、あの震災は“東北の人たち”ではなく、同じ時代を生きる“わたしたち”だったはずですが、福岡で聞こえる“3.11をきっかけに”の言葉の中に、東北で暮らす人たちを見つけることは難しく、触れたいけれども触れることの出来ないもどかしさようなものを感じていました。それは2年前訪れた岩手の内陸地でさえ感じた事なので仕方がない事なのかもしれません。
今回、陸前高田のみなさんと同じテーブル、同じ食卓を囲んで、うれしく愉快な時間を過ごしました。陸前高田で出会った人たちは誰しも、あたたかくてやさしく、そして何より陸前高田の事を愛していました。陸前高田のまちが見下ろせる山に登り、同じ風景を見ました。入り組んだ地形、凪いだ海、様々な木々と表情がとても豊かなきれいな景色でした。同じ時間をすごす中で、陸前高田の誰しもが誰かを失くしているにも関わらず、その深い悲しみを過ごした本当のやさしさのようなものに触れ、一瞬で陸前高田の事が好きになってしまいました。僕は自分から自分の事を話すことはあまりありませんが、みなさんの懐の広さでしょうね、そこにためらいもなく飛び込み、自分はこんな人ですと地元の人たちで賑わう仮設のカフェで話しました。初対面なのに。お酒も入っていないのに…。本当にうれしい時間でした。
夜明け前、陸前高田のまちをしばらく歩きました。何もなくなってしまった海辺から高台まで。これほどの広さで流されたのは家ではなく、家族の幸せや想い出だったという事を身体で感じました。かつて家があった場所にクローバーが咲き始めていました。その中に一輪だけ小さなシロツメが咲いていました。そのシロツメに手を合わせ、「“被災地”ではなく“陸前高田の人たち”が少しでも喜んでくれる事ができるデザインを」と小さな誓いを。福岡の僕がなぜ、陸前高田に行く事になった事は次に。