東北行きの準備

通院が終わった。長かった。朝、地下鉄一日乗車券を買って、姪浜まで。うとうとしていると、室見を過ぎたあたりで、閉じていた瞼が急に明るくなる。地上に出たのだ。その瞬間が、いつも何となく嬉しかった。何で嬉しくなるんだろうと素朴に考えてみた。地下鉄が夜を走る列車だとするのなら、その地上に出る瞬間というのは、朝を迎える瞬間なのかもしれない。そう、“長いトンネルを抜けるとそこは、夜明けだった”。完治のない怪我だが、ひとまずは、完治ということにした。妻が、まるでいつもの帽子をつくるときにように、タタタタンと、義指のようなものをサッと作ってくれた。流石に採寸もピッタリで、しっくりしていて、気に入っている。これから長い付き合いになるが、それも含めて、自分なんだと思う。確かに、いろいろと不便ではあるが、不幸ではない。何と困難で、有り難く、面白い人生を歩ませてくれるのだろう、と感じている。


飛行機のチケットを取って安心していた。ようやく東北行きのプランを立て始める。列車の時刻、寄るべき場所などを洗い出す。地図をなぞりながら、地名と距離を覚えることで遠かった東北が少しづつ近くなってくる。震災後、すぐに向かいたかったが、行っても何の力にもなれない事はわかっていた。だから、少し落ち着いて、でも、できるだけ早い時期に、行って励まそうと思っていた。自分たちには何ができるのだろうと、あの日から、問いは問いのままあり続けている。何かのプロジェクトや組織としていく訳ではなく、ただ、一組の夫婦として行くので、たかが知れているだろうが、これからもずっと、自分たちの営為として、かかわり続けれることを見つけてきたいと思う。東北のラジオをつけた。初老の男性が抑えの効いた渋い声で、ふいに、没後100年を迎えた石川啄木の詩をうたう。詩と言うのは読むものではなくて、聞くものだということに改めて気付く。自分のまちの暗唱できる詩があるなんて、なんて豊かなことだろうと思い、温かな気持ちになった。「ふるさとの山にむかいて 言うことなし ふるさとの山はありがたきかな」。