モリーオ

少し遅くなりましたが、盛岡市の「ひめくり」さんで開催された「手の間展」にお越し下さった皆様、本当にありがとうございました。さまざまな場所で話していますが、活版印刷にはじめて出逢ったのは、子どもの頃に読んだ賢治さんの「銀河鉄道の夜」でした。こうして、賢治さんの故郷である岩手に赴くことができたこと、活版印刷を通して岩手の方々と交流ができたこと、大変嬉しく思っております。また地元、岩手日報さんの取材も受けました。夫婦共々、取材は本当に苦手なのですが、遠く、福岡からも祈っていること、想っていることを知ってくださればとても嬉しいです。

盛岡は、「ポラーノの広場」の物語の中にある“あのイーハトーヴォのすきとおった風、 夏でも底に冷たさをもつ青いそら、 うつくしい森で飾られたモリーオ市”と、その通りの町でした。その情景に加え、町のいたるところに吊るされていた、涼しげで奥ゆかしい南部鉄の風鈴の音色が、今も耳に残っています。まちで暮らす人たちを見守るように、さまざまな場所で大きな木を見かけました。マンションよりも木のほうが背が高いのは、まちの風景としての美しさもさることながら、そこで暮らす人達が大切にしてきた積み重ねられた記憶や時間を感じることができ、とても穏やかな気持ちになりました。

賢治さんが名付け、生前「注文の多い料理店」の出版を行なった「光原社」も訪れました。得も言えぬ懐かしさと(様々な本で何度も見ていたので)、質実剛健な佇まいに、強い志を感じました。賢治さん自身も出版の為、活字を拾ったり、花巻から盛岡の山口活版所まで活字を探しに来たと言います。残念ながら活字を取り巻く現状は落日の勢いを増していますが、賢治さんの志には遠く及ばないにしても、自分にできることを行なおうと、賢治さんの像の前で小さく誓いました。