FAFサロンを終えて

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昨日のFAF(福岡建築ファウンデーション)サロン、急に冷え込んだ中、足をお運び下さった皆様、ありがとうございました。FAFサロンはこれまでテーマを「○○○のひみつ」とされてきました。ですので、今回「ソーシャルデザインのひみつ」となりました。メディアや書籍等で伝えられる「社会の課題をアイデアで解決!」とある種、わかりやすいソーシャルデザインもあれば、私が行うデザインのように、見えにくく気付かれにくいものもまた、ソーシャルデザインなのかな、と感じています。そして、自分が想うソーシャルデザインは、やっぱり「社会」という掴みにくく大きなものではなく(“世間”と言う言葉の方がしっくりきます)、目の前のひとりひとりの個人に向き合うことなのかなと感じています。現実は変わらずそこにあります。ですのでそれをお伝えできればと普段、SNSやブログなどでは伝えない少し重い内容になったかと思いますが、直接お話できたこと有り難く思います。少しでも何か感じて頂けていたら嬉しいです。

とある方からその困難な状況化の人たちの怒りや悲しみをダイレクトに表現するクリエイティブもあるんじゃないかと聞かれました。確かにそういう表現もあるなと、ハッとしました。ですが、私はやっぱり、あたたかくてやさしいものが良いなと。怒りや悲しみ、憂いさまざまな感情を受け止めて、やさしく、あたたかく届け続けたいと思います。また、その困難な状況化の中にいる人たちに私のデザインが果たして意味を成しているのかと、そのような質問も頂きました。確かにそうかもしれません。山火事をバケツの水で消すような行為かもしれませんが、自分の中で最良と思うことを行い続ければと思っています。他にもいくつも有り難い質問や感想を頂きました。自分の中でゆっくりと咀嚼しながら行動に移して行ければと思います。今回、このような機会を与えて頂き、本当にありがとうございました。

FAFは、『福岡の街を、デザインを育てる土壌として耕すこと』のミッションの元、福岡近現代建築ツアーやワークショップなど、さまざま取り組みを行われています。ぜひ引き続き、Webサイトなどご覧下さい。

NPO法人福岡建築ファウンデーション|http://fafnpo.jp/

大切なもの

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週末は、命日で春を思わせるほがらかな日和の中、妻と想い出の場所をゆっくりと巡りました。あの日も同じ様な暖かい日でした。澄んだ青空に飛行機雲のようなきれいな線を描いて消えて行きました。ハクモクレンの暖かそうなつぼみと、白い梅の清々しい香りが悲しみを和らげ、笑みをもたらせてくれました。

久しぶりにふたりで訪れた長丘、長住は変わっていないようで、でもやっぱりどこか変わっていました。もうここは僕らの場所じゃないんだなと思いながらも淋しさではなく、随分と大切なものに包まれて暮らしていたんだなと気づき、温かい気持ちになりました。




わたし(たち)にとって大切なもの | 長田 弘『死者の贈り物』より



何でもないもの。朝、窓を開けるときの、一瞬の感情。熱いコーヒーを啜るとき、不意に胸の中にひろがってくるもの。大好きな古い木の椅子。

なにげないもの。水光る川。欅の並木の長い坂。少女たちのおしゃべり。路地の真ん中に座っている猫。

ささやかなもの。ペチュニア。ペゴニア。クレマチス。土をつくる。水をやる。季節がめぐる。それだけのことだけれども、そこにあるのは、うつくしい時間だ。

なくしたくないもの。草の匂い。樹の影。遠くの友人。八百屋の店先の、柑橘類のつややかさ。冬は、いみじく寒き。夏は、世に知らず暑き。

ひと知れぬもの。自然とは異なったしかたで人間は、存在するのではないのだ。どんなだろうと、人生を受け入れる。そのひと知れぬ掟が、人生のすべてだ。

いまはないもの。逝ったジャズメンが遺したジャズ。みんな若くて、あまりに純粋だった。みんな次々に逝った。あまりに多くのことをぜんぶ、一度に語ろうとして。

さりげないもの。さりげない孤独。さりげない持続。くつろぐこと。くつろぎをたもつこと。そして自分自身と言葉を交わすこと。一人の人間のなかには、すべての人間がいる。

ありふれたもの。波の引いてゆく磯。遠く近く、鳥たちの声。何一つ、隠されていない。海からの光が、祝福のようだ。

なくてはならないもの。何でもないもの。なにげないもの。ささやかなもの。なくしたくないもの。ひと知れぬもの。いまはないもの。さりげないもの。ありふれたもの。

もっとも平凡なもの。平凡であることを恐れてはいけない。わたし(たち)の名誉は、平凡な時代の名誉だ。明日の朝、ラッパは鳴らない。深呼吸しろ。一日がまた、静かにはじまる。

新月から新月へ

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新月で幕を開けた2014年最初の一ヶ月が新月で閉じます。ひと月に2度新月が訪れるのは何とも不思議な気持ちです。ズシンと胸にきた先週末の出会いが、少しづつ身体中に巡っていることも感じます。普段からほわんとしていているとよく言われますが、よりほわんとしているのを感じます。雲の上を歩いているようです。また、子どもの頃の自分が聞いたら泣いて喜ぶような出来事もありました(実際、泪してしまいました)。時が経ち、いつかふと想い出す様な印象的な1月になりました。

変わらず日々はいつもの繰り返し。自転車に乗って、アイデアを考えて、誰かの事を想って、誰かに会って、会話して、悩んで、手を動かして。昨日も今日も明日も。あるひとつの打ち合わせが終わった後、ポツリと佇む青サギを見かけたので岸辺に自転車を置き、腰をかけて夕暮れのひとときを共にのんびりと過ごしました。刻一刻と変わっていくこの美しい時間を、青サギとふたりだけで独占しているような少し贅沢な気持ちに。ありがとう。おかげで良い夕べが過ごせました。

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作るときのきもち

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聴覚障がいのある職人さんたちの木工所へ。2年程前、西新駅構内に福岡市内の福祉作業所で作られた商品を販売するショップのデザインを行いました。その際、カウンターをお願いしたかったのですが、地下鉄の駅構内と言う事もあり不燃材の限定で、小さな什器なども木材を使うことは出来ませんでした。ですがこうして、一緒に取り組める時期が訪れたこと、とても嬉しく思います。

今回のプロダクトは、社会的な課題、問題と市民(生活者)とをむすぶ“ブリッジ”になるので、親しみがあり、つい触りたくなるものと思い入れも強く、イメージもあり図面を引いていました。ですが話を伺う中で、普段は決まった仕事が多いことも聞きました。思う事もあり、今回は息抜きとまではいきませんが、いつもと違った楽しさを感じながら作っていただきたいなと、お見せした図面を忘れてもらい、一切を委ねました。自分がデザインしたということより、職人さんたちの作るときのきもちを大切にできれば、と。笑いながら、楽しみながら作られている姿を想像すると、なんだか僕も嬉しくなった訳です。どんな試作品が上がってくるか、楽しみです。

水仙月

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隣に誰かいるという日常を失ったとき、初めてその大きさに気付きます。けれども残された者は淋しさだけではなく、愛の記憶にも包まれている事も感じます。月日を重ねるほどその包容はやわらかなものに。

今年も水仙月がやってきました。甘く切ない香りに誘われ、古ガラスに。「私はあなたの愛に値しないと思ふけれど、あなたの愛は一切を無視して私をつつむ」と、高村光太郎の言葉が響く季節です。