資料は現場に

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瞬きをする間に、月日が移ろっているようです。それだけ充実した日々を過ごせているのだと思います。今月は自転車で市内、市近郊を行ったり来たりで日々、平均25kmぐらいの距離を。おかげでいつもぐっすり眠って鋭気を養えています。今年はいつものデザインワークに加え、例年になく行政やNPOなどの来年度の事業の提案が重なっています。プランナー・デザイナーと名乗りながらも、安寧な場所から紡ぐ言葉にはあまり説得力がないことを痛感しています。生きづらさを感じる人たちがなお、生きづらさを感じていることを知りながらも、一歩、踏み込めない自分がいました。サッカー実況の元NHKの山本アナが「資料は現場に落ちています」と仰っていましたが、自分は現場での経験、体験が圧倒的に少ないことを感じ、いくつかの現場に関わり始めました。そしてこれからもより積極的に柔軟に現場に関わっていきたいと思います(遠慮なく声をかけてください)。永年、現場で愛情を持って誠実に関わってきた方々との恊働はとてもエキサイティングなものです。自分の小ささを感じることができ、またこれまで見えなかったものが見え始めて、改めて尊敬の念を抱いています。居心地が良い場所に身を置くのも、厳しい環境に身を置くのも選ぶのは自分。見えないところ、見えにくいところをちゃんと、デザインできるデザイナーでありたいと思います。

花だより、虫だより

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年度末はいつも慌ただしくも、もっともアイデアを求められる季節でもあり、充実感に満たされています。他の誰でもなく自分を必要としてくれるのは何よりのモチベーションです。長く感じた冬も少しづつ終わりが近づいて来ていることも感じます(と言いつつ今朝は寒かったですが)。春を告げる花々も目立ってきました。随分と乳白色の空の日が続きましたが、久しぶりの青空に白木蓮が映えていました。まるで、大勢の文鳥が羽根休めをしているようでした。ミモザ。子どもの頃は勝手にその見た目から“花粉症の花”と名付けて近づかないようにしていました。それが春を知らせる花と知ったのは随分後のことです。ひな祭りの日には、雛あられか、菱餅かと迷いましたが、梅にしました(桃がなかったので)。翌朝、キッチンが清々しい香りだったので、団子より花にして良かったと。お堀の土手にはたんぽぽ。しばし腰をおろし、花弁を詳しく見ようと顔を近づけてみると、てんとう虫が。気付けば冬ごもりをしていた虫たちが起き出す二十四節気のひとつ「啓蟄」。週末は、ヤマアカガエルの卵を見つけることができるかも。

ランドナーをつくる(2)

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今、乗っているランドナーはある意味、ユニバーサルデザインの自転車です。交通事故の後遺障害でドロップハンドルに備え付けられたブレーキを物理的に握ることができなくなりました。障害者申請を行っていないので、障害者でもなければ健常者でもないのですが実感として「障害」は“持つ”ものではなくて、むしろ“持たない(持てない)”ものであると感じるようになりました。その“持たない(持てない)”という身体的な負担を補うために、おじさんは2本の指だけでブレーキを掛けることができるようにデザインして下さいました。ユニバーサルデザインの自転車のパーツもたくさん出ているのですが、どれも“一般的”すぎてそういった新しいものを使わず、古いパーツで美観を損なわずに作って下さいました。新しいランドナーも、微妙なブレーキの場所を何度も調整しながら作ってもらっています。そう思うと、ユニバーサルデザインの小さな矛盾に気付きます。

行政の仕事をしているときも必ずと言っていいほど、「ユニバーサルデザインに配慮した〜」と言われます。けれども、ユニバーサルデザインの為に不特定多数の人たちに寄り添う程、そこからこぼれる人たちが必ず出てきます。言わずもがな、障害や置かれた状況は、人それぞれとても多様なものです。その設えられたユニバーサルデザインから、こぼれ落ちた人たちほど実は本当の意味でのユニバーサルデザインを必要としているという矛盾を孕んでいる気がしています。そう思うと行政はユニバーサルデザインの普及ではなく、まずは相互扶助への理解やアクセシビリティの向上を努めるべきなんじゃないのかなとも感じます。自分としては、ユニバーサルデザインの視点を持ちつつも、ダイバーシティであったりインクルージョンなどの、より具体的なところに眼差しと軸足を置いていたいなと思います。

ランドナーをつくる(1)

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車の免許を持っていないので市内と市近郊の移動はランドナー(自転車)です。普段、どれくらい乗っているのかなと走行距離を測ってみると、ランドネ(長距離サイクリング)を省いて、西へ東へほぼ毎日約20kmでした(競技車ではないので、のんびりですが)。環境にやさしいと言うよりは、光や風や風景を感じたり、気持ちを切り替えたり、アイデアを考えたりと自分にとっては心を通わす人の気配がする道具です。なので手入れもしていますが、やはり毎日乗っていると気がつかないうちに傷が増え劣化も激しくなります。自分で出来る範囲はメンテナンスを行い、できないときは修理をお願いしています。年代物のパーツを使っていることもあり、修理にもそれなりの費用がかかってしまいます。初めてのランドナーでずっと乗り続けたいこともあり、併用で乗れるようにと思い切ってオーダーメイドで自転車をつくることにしました。

ランドナーやスポルティーフに乗る人は誰しもが憧れる日本が世界に誇る『東叡社』のフレーム。一生物になるので緊張しながら『長住サイクル』のおじさんに相談しました。すると、「東叡はお金を出せば誰でも作れるけん、いつか作りんしゃい」とあっさり。そして奥から見慣れないフレームを出して下さいました。おじさんがお店を出された頃(40年以上前)に手に入れられた今はなき「ワンダーフォーゲル号」、フレームには「randonnee」と。長住サイクルは子どもの頃の僕らの溜まり場のような場所で、その頃すでにこのフレームはここにあったんだと思うと感慨深くなり、東叡社への憧れは何処かへ。そしてフレームに自分の手の長さと股下を合わせると、ぴったり。「このフレームはずっと、乗ってくれる人ば待っとったとよ。おじちゃんも技術ば磨きながらいつか作ってみたかあとフレームに合うパーツを少しづつ、少しづつ集めとったとよ。決まりやね」と、このフレームをベースに当時のパーツをアッセンブルしての自転車づくりがはじまりました。

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きずな

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久しぶりにファミリーシップふくおか(里親養育支援共働事業)のフォーラム「新しい絆」へ。全国的に見ても突出している福岡の里親委託率を表す様に予備の椅子が出されるほど会場は満員でした。委託率が増えるということはそれだけ普及活動が浸透していることを意味する訳で、改めてファミリーシップふくおかの取り組みに感嘆するとともに、より一層の普及が進むことで、本当の意味で福岡のまちは子どもたちにとってやさしいまちになっていく可能性を感じました。

メインゲストは帝塚山大学の才村眞理教授。「子どもとライフストーリーを分かち合う」として、出自を知る権利(子どもの権利条約を元に)や子どもの自尊心やレジリエンヌ(回復力)などの話を。続いて、誰から生まれたのか?なぜここにいるのか?などを子どもの人生に組み入れるプロセスである「ライフストーリーワーク」と、生い立ちの記録や写真などの記録を整理し記入するアルバムの「ライフストーリーブック」について。これはレッジョのドキュメンテーションとエピソード記述などの保育的観点から見ると情報に乏しいものの、子どもの尊厳から見るとより深い(強い)ものであるような印象を受けました。現代から過去、そして再び現代から未来とへと子どもの反応を見ながら“点滴”のように少しづつ告知していくことで、子どもが理解・納得し未来に生きる力を得ると。

里親さんたちのお話も。里親さんの話を伺うのはalbusでのイベント以来でした。愛を知らない子ども達が愛を感じるまで、里親さんたちは、どれほどの愛を注がれたのだろうと今回も胸を打たれました。血縁より強い絆があることを改めて知りました。前述の才村教授が里親さんたちの話の感想で「多様性に強い社会を作る上で、子ども達の力を信じる最先端にいるのが“里親”」と仰られ、ハッと膝を打ちました。

児童養護施設の藤田施設長による講演も行われました。施設の成り立ちから社会的養護が施設養護から家庭的養護へと移って行く過渡期である施設の現状とこれからを。そして、いくつ夜があっても語り尽くせないと仰るなか、施設で暮らす数人の子ども達のエピソードも。藤田さんには私自身、多くを与えて頂きました。自分のデザインの職能が集客や消費の為ではなく、まずデザインから“遠い場所”にいる人たちの役に立てたいと思う様になったのは藤田さんとの出会いからです。藤田さんは繰り返し、子どもは未来であると同時に今だと仰られます。施設に足を運ぶ中で他にもたくさん、子ども達の困難な話を伺いました。話を聞きながらその想像しがたい現場を想像する訳ですが、藤田さんはいつも子どもの、上でも下でも前でも後ろでもなく、となりにいます。いつも子どもと同じ景色を見ているのです。

何をしてきたかでその人の輪郭をつかめることもあれば、何をしてこなかったでその人を知ることもあるのかもしれません。その“してこなかった”時間の中には、藤田さんが目の前の子どもたちと向き合い続けてきた時間が確かに存在しています。久しぶりに話を伺い、自分もそうありたいと感じました。