アルファベットがつなぐ時間

14日まで九大(箱崎)総合博物館で、スタジオポンテによるカリグラフィー展「アルファベットがつなぐ時間」が開催されています。興奮の様子は妻のブログから。妻のブログにもある通り、イタリアを訪れた際、さまざまな碑文の美しいタイポグラフィを眺めては、二人で興奮していました。またゆっくり訪れたいと思います。

私もこっそり興奮して、随分昔にお小遣いを貯めて買った、カリグラフィーの本を眺めて想い出に浸っていました。とある美容室のタイポグラフィを書くことになったのがデザインの世界に入るきっかけでした。必死でしたがあの時の付焼き刃と言ったら…。でも、それでも喜んで下さり、それがまた自分にとっても嬉しくて、だからこそ今もデザインを続けられているのかもしれません。懐かしい想い出です。

14日には(11:30〜、14:00〜)、主宰のさつきさんによるカリグラフィーのデモンストレーションがあります。目の前でローマンキャピタルが生まれる瞬間の美しさと言ったら。と、妻と同じテンションになっていますね。ぜひ、足をお運びください。

隣る人

今日は私なんかの言葉よりも。妻のブログから。
DVD化はされないそうです。子どもに関わる方はぜひ観てほしいです。


「隣る人」| in cucina con amore

明日も、あさっても、この淋しさはなんにもかわらないし、今日も見えない楯を持っている。
正直にどんな気持ちなのかわからないけれど
私には父親がいませんでしたから
少なからず似たような気持ちになったことはあります。

大人になってからも不思議な淋しさは今もかわりません。

中洲大洋にてドキュメンタリー映画「隣る人」が10/12(金)まで上映されています。

訳があって家族とは暮らせない、他の場所で暮らす子供のたちの日常。

そして、子供たちのそばで、今を、未来を、温かく包むことを考えそばにいる大人たち。

ストレスが多い日常で、落ち着くことや楽しいことを求めてばかり。私も。

だけれどほんの少し余裕があるのなら、
知っているつもりでいることを
ちゃんとのぞいてみることも、
けして悪いことではないように思います。

どんなに遅くても、電気が消えた家でも、
水と少しのお菓子、
それから帰って来てくれるという予定さえあれば
子供は
いつまでだって、誰か(家族)を待てる。そう思います。

絶対にそうだとはいえないけれど。

唐津の海

夢中で唐津の海を撮っている間、こっそり背後から撮られていました。鈍くささは相変わらずです。最近は、年配の方々のスマート(紳士)な所作や配慮に触れる機会が多く、憧れつつも、その道はまだまだ遠いようです。

ブルームーン

月の満ち欠けと暦のズレから、ごく稀にひと月に2回、満月が訪れることがあり、その2回目の満月のことを、“めったにないこと”、“ありふれていないこと”と言う意味で「ブルームーン(青い月)」と呼ばれています。今日(31日)は、そのブルームーン。見るとしあわせになれるとも言われていますので、月を見上げながら、静かに美味しいお酒でも飲みたいものですね(雨男の自分が言うと一抹の不安がありますが…)。ちなみに、次のブルームーンは2015年7月31日。その次は2018年5月30日。およそ、3年ごとにブルームーンは訪れます。

立てていく

事故から4ヶ月。ようやく病状が固定(固定と言ってもその日以前とは異なるけれど)。静けさの友である珈琲さえ、カップを右手で持つ様になってしまった。無意識でいたいときに意識しなければならないことが、これから増えていくのだろうが、何より、こうしてリスタートできたことに、感謝しよう。


ナガサキリンネの会議後、別件で長崎県庁へ。自分の、と言うより、“自分たち”の仕事(暮らし)を作っていくイメージ。受け身や何かに寄りかかることなく、関係性のない状態から主体的に、立てていく。もちろん、緊張はあるが、その“立てていく”という行為はデザインの捉え方として、とてもしっくりきている。また、そういう環境に身を置くことで、前向きにもなるし、自ずと心身も奮い立っていくことだろう。



“日本人は独自な美をわれわれの生活の中から見つけてきておりますが、それはじつは生活の立て方の中にあるのだといってよいのではないかと思います。生活を立てるというのは、どういうことなのだろうかというと、自分らの周囲にある環境に対して、どう対応していったか。また、対決していったか。さらにはそれを思案と行動のうえで、どのようにとらえていったか。つまり自然や環境のかかわりあいのしかたの中に生まれでてきたものが、われわれにとっての生活のための デザインではないだろうかと、こう考えております。宮本常一『塩の道/暮らしの形と美』”