東北行きの準備

通院が終わった。長かった。朝、地下鉄一日乗車券を買って、姪浜まで。うとうとしていると、室見を過ぎたあたりで、閉じていた瞼が急に明るくなる。地上に出たのだ。その瞬間が、いつも何となく嬉しかった。何で嬉しくなるんだろうと素朴に考えてみた。地下鉄が夜を走る列車だとするのなら、その地上に出る瞬間というのは、朝を迎える瞬間なのかもしれない。そう、“長いトンネルを抜けるとそこは、夜明けだった”。完治のない怪我だが、ひとまずは、完治ということにした。妻が、まるでいつもの帽子をつくるときにように、タタタタンと、義指のようなものをサッと作ってくれた。流石に採寸もピッタリで、しっくりしていて、気に入っている。これから長い付き合いになるが、それも含めて、自分なんだと思う。確かに、いろいろと不便ではあるが、不幸ではない。何と困難で、有り難く、面白い人生を歩ませてくれるのだろう、と感じている。


飛行機のチケットを取って安心していた。ようやく東北行きのプランを立て始める。列車の時刻、寄るべき場所などを洗い出す。地図をなぞりながら、地名と距離を覚えることで遠かった東北が少しづつ近くなってくる。震災後、すぐに向かいたかったが、行っても何の力にもなれない事はわかっていた。だから、少し落ち着いて、でも、できるだけ早い時期に、行って励まそうと思っていた。自分たちには何ができるのだろうと、あの日から、問いは問いのままあり続けている。何かのプロジェクトや組織としていく訳ではなく、ただ、一組の夫婦として行くので、たかが知れているだろうが、これからもずっと、自分たちの営為として、かかわり続けれることを見つけてきたいと思う。東北のラジオをつけた。初老の男性が抑えの効いた渋い声で、ふいに、没後100年を迎えた石川啄木の詩をうたう。詩と言うのは読むものではなくて、聞くものだということに改めて気付く。自分のまちの暗唱できる詩があるなんて、なんて豊かなことだろうと思い、温かな気持ちになった。「ふるさとの山にむかいて 言うことなし ふるさとの山はありがたきかな」。

社会的養護とデザイン



どうか、これ以上、被害が広がりませんように。




4年程前。義務教育が終了した後、児童養護施設を退所した子どもや、様々な事情で家族と離れて暮す子どもが、働きながら自立を目指していくことを支援する「自立援助ホーム かんらん舎」が出来ると聞いて伺わせていただいた。福大近くのいわゆる、“ふつう”の一軒家(“ふつう”と言う言葉は社会的養護の観点では使うことを躊躇するが、この場合は相応しいものとして)で、さまざまな事情を抱えた子どもたちが暮し、支援するおとなの姿があった。現在では、20名強の子どもたちがここを出て、社会へ巣だっていったそうだ。福岡市にはそういった自立援助ホームはひとつしかなく(全国にも数十カ所しかない)、上記のような子どもたちを一心に受け止めている。そういった支援を必要とする子ども達は、その何十倍も存在すると言われている。自立援助ホームの存在は社会へ巣立つ子ども達の、物質的・精神的な基本的必要を満たす訳だから、こういった場所にこそ、デザインは必要だと思っている。デザインは今は皆無だが、ロールモデル(空家を利用したもうひとつのシェアハウス等)になりそうな要素も多分にあると思っているので、引き続き探っていきたい。

さて、本題。その「かんらん舎」の母体である「青少年の自立を支える福岡の会」が、東京の児童養護施設から社会に巣立つ子どもたちの自立支援を行なうNPO「Bridge for smile」(以下B4S)の代表の林さんを福岡に呼ぶとお聞きしたので大雨の中、春日まで。福岡の児童養護施設関係者、里親、行政関係者など、社会的養護、児童福祉に関わる方が大勢集まって、熱心に耳を傾けていた。B4Sの活動は、これまでの社会的養護を必要とする子どもたちの取組みと一線を画していて、一人暮らしを準備するまでの「巣立ちプロジェクト」や社会に出た後の子ども達をフォローする「アトモプロジェクト」、子どもたちが夢を語る場「カナエール」などデザイン的な(遊び心?)要素を仄かに感じていた。井上ひさしさんの言葉だが、「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをゆかいに、ゆかいなことをまじめに〜」は、デザインを行なうときに心掛けていることだが、こういった重く深い領域にこそ、わかりやすさとやさしさが必要で、B4Sが行なう様々な取組みはそれらを体現しているような気がしていたので、直に話が聞けて良かった。何より秀逸だと感じたのが、子どもたち、施設内、施設間、施設と社会間などへのアプローチを全方位的に同時に成立させている(させようとしている)ことだった。もちろん、そういった取組みは現場からは異質なもの、ときには劇薬に見られがちだが、それを自覚、配慮しながら行なわれているのが、更に印象的だった(言葉選びひとつをとっても)。動機はどうあれ何かに一度、光を当てたり関わりをもったら、その対象に敬意を払い続けることが大切だと感じている。周囲の反応はどうあれ、何よりその対象である子どもたちが、永続的に希望を持ち続けているB4Sの取組みに学ぶことは多い。



追記
ちなみに、B4Sさんの新しくなったホームページは、プロボノ(仕事のスキルを活かして行なうボランティア)によって作られている。福岡にも「ふくおかかつぎてけいかく」というプロボノの取組みがある(webサイトのデザインはCGFMさん)。児童福祉に限らず、さまざまな悩みや課題を抱えているNPOや各種団体の方は、一度お問い合わせを。また、デザインに関わりがある方をはじめ、何かしらのスキルをお持ちの方は、「支援する側」として、そういう働き方もあるので、ぜひ。

伝えるということ

ロゴやwebサイトをデザインした「PLAY FUKUOKA」さんからの依頼で、篠栗の福岡県立社会教育センターで行なわれた「子どもの遊び場 北部九州合同集会」で講演を。怪我のこともあり、今のタイミングで見知らぬ人の前で話すことに少し臆するも、今のタイミングだからこそ、励ましたいし、伝えなきゃいけないことがあるんじゃなきだろうかと思い、話させて頂く。


北九州市から南は鹿児島まで。子どもの現場で活動するさまざまなNPO、団体の方々が訪れていた。与えられたテーマは「発信力」。現場で活動している方たちは、本業に追われ、発信が疎かになってしまうのは、周知の事実。じゃあ、誰でも簡単に発信ができるfacebookなどのソーシャルメディアを使って、プロジェクトを立ち上げたり、セルフブランディングを行なっていく。なんて話はせずに、むしろ、むやみに発信なんかしなくても良いんじゃないかと、身も蓋も無いことを話す。大切なことは、声の大きさではなく、例え、ささやきぐらい小さなものだとしても、日常的に声をかけ続けることの方が大事なんじゃないかと思っている。確かに時間はかかるかもしれないけれども、外ではなくその「対象」や「物事」にかけ続ける声は“ノイズ”にならず、どこまでも、いつまでも、響き渡るものになっていく。

何かを行なうことでの、その評価や効果。誰とつながっておけば良いだろう。などと「自分」を基準とするのではなく、まず、その対象や物事を基準とし、眼差しと好奇心、そして愛情を持って、フラットな立ち位置であれば、それを見守る人達のこころにも対象や物事の居場所がうまれ、一緒に楽しみながら、育んでいくことができる。主張を押し付けることなく余白(あそび)を残し、そして、どこかを置き去りにしない。等と、日頃思っていることを伝える。


その後、みなさん、ひとりひとりに自己紹介をしていただき、ディスカッションを。あっという間に三時間が過ぎる。伝えようとするのでなく、その人の想い、日々の行ない、そして存在そのものが、すでに伝えることになっているんじゃないか。と、終始、穏やかな雰囲気の中、会は終了した。いらっしゃった方には懐かしい顔もあった。「わたしはここにいます」と一度、旗を掲げたら、その旗を掲げ続けることが大切なんだと改めて気付かされる。見すぼらしくてもいい。いびつでもいい。向かい風もあっていい。風が強ければ強いほど、その旗は鮮やかに、大空に、はためくのだから。
共にがんばっていきましょう。

手の間展〜福岡から盛岡へ、届けたい手仕事

『手の間』さんのご縁で、岩手県盛岡市のミニコミ誌『てくり』をてがける「まちの編集室」さんのギャラリー「ひめくり」にて開催される「手の間展〜福岡から盛岡へ、届けたい手仕事」に参加することになりました。今年の年明けから決まっていたのですが、怪我のこともあり、チケットを取るのは不安もありましたが、おかげさまで、伺うことができそうです。こうして、近くの目標を与えて下さったことに、とても感謝しています。28日には盛岡の「ひめくり」さんに滞在する予定ですので、よろしかったら。

手の間展〜福岡から盛岡へ、届けたい手仕事〜
会期:2012年7月27日(金)〜29日(日)10:30〜19:00*最終日は17時まで
会場:shop+spaceひめくり(岩手県盛岡市紺屋町4-8 電話019-681-7475)
まちの編集室:http://www.tekuri.net/



交通事故で失した左手の機能は、利き手であり、活版を教わった寺尾さんから、常にケアを怠らないようにと言われた箇所でもあって、よりによって…。と思いつつも、今、こうして生きていることに感謝をし、過去は過去でしかない訳ですから、これからは、ただ、過去を懐かしみ、今を踏みしめて、歩んでいくだけだと、感じています。物理的に活字が拾えなくなり、印刷機も動かせなくなったその訳は、これまでもそうでしたが、己の利益ではなく、より人の世に活かしなさい、“じぶんをかんじょうにいれずに”。と言う事だとも、受け止めています。そう思うと、このタイミングで「グスコーブドリの伝記」が公開されるのも、活字というものに出逢わせてくれた「銀河鉄道の夜」が生まれ、子どもの頃から恋こがれた賢治さんの故郷、イーハトーヴに行けるということも、何と言うありがたい、めぐりあわせだろうと感じ、感謝しています。

それから。BLUEMOON LETTERPRESSからAOITSUKI PRESSに変更しました。以降、くらしに息づく活字と印刷のことをこちらで綴っていきます。青い月というのは、最初は恥ずかしかったのですが、天体を、そして銀河のように果てしない広がりを感じさせるので、今はとても気に入っています。ちなみに、8/31日の満月は「青い月」です。ひと月に満月が2回訪れる、めったにない月です。そして今日は、七夕ですね。「銀河鉄道の夜」にも、印象的な銀河のお祭りのシーンがあり、どこか、高揚している自分がいます。皆様も、良き、星々に出逢えますように。


AOITSUKI PRESS http://aoi-tsuki.com/press/

トウモロコシ

とあるイタリア料理店でランチを。砕けすぎていない食感の残るトウモロコシの冷製スープに舌鼓を打った。そういえば妹たちはよく、トウモロコシを好んで食べていたな、と思い出し、「あ、トウモロコシ、食べたい」と、子どものように、思わず呟いた。「そうね、みつけたら、買おうか」と、妻。

それから、いっとき、夜のとばりが降りた頃、ふいにチャイムが鳴りドアを開けた。軒先には、思っていたけど、思いがけない人。「調子はどうかな?と思って。あ、それから、どうぞ」と、いつもの朴訥な語り口調で、ふいに、わさわさとしたビニール袋を前に差し出した。中に入っていたのは、穫れたてのトウモロコシだった。ト、トウモロコシ!と、まるで狐にでも騙されているようで、お昼に食べたいと言っていたところなんですよ、と、事の顛末を話す。「そう、それは良かった」と、驚く様子もなく、優しい表情を浮かべ、彼は颯爽と去っていった。

すこし贅沢と思いつつも、「実は、一度、丸かじりって言うものをやってみたかったんだ」と、妻に打ち明け、丸ごと一本、茹でてもらう。茹で上がったトウモロコシは、眩しいほどに光っていて、またもや贅沢と思いつつも真ん中からかじった。とても瑞々しく、果実を思わせるほど甘かった。今まで食べた、どのトウモロコシよりも美味しかった。よくわからないけども、元気も出て来た。



人生を左右するような怪我をして、わかったことがいくつかある。誰しも人に言えないような悲しみを抱えていて、同じような状況だと感じると、そっと、その秘密を打ち明けてくれるのだ。僕が知らなかっただけで、その悲しみを多くは見せず、当たり前に受け止め、前を向いて歩いておられたことを知る。そして、その悲しみは舐め合い、慰め合うものではなくて、分かち合うものだということも。もう、それからはそれ以上、そんなに言葉もいらなくなる。探り合う必要もなく、話さなくても充分に感じるようになってくる。僕のなにげなく、さりげない「今」がとても愛しいように、また彼(彼女)の人生も愛しい。気がつけば励まされているし、気がつかないところで励ましている(と、思う)。

彼がもし、よろめきそうになったら、飛び切り元気が出る物を携えていこうと思う。おおげさな雰囲気は出さなくていい。「そう、それは良かった」と、さりげなく差し出すのだ。